鹿瀬町
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かのせまち 鹿瀬町 | |||||
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廃止日 | 2005年4月1日 | ||||
廃止理由 |
新設合併 津川町、鹿瀬町、上川村、三川村 → 阿賀町 | ||||
現在の自治体 | 阿賀町 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 |
中部地方、北陸地方 甲信越地方 | ||||
都道府県 | 新潟県 | ||||
郡 | 東蒲原郡 | ||||
市町村コード | 15382-6 | ||||
面積 | 257.69 km2 | ||||
総人口 |
2,775人 (2004年9月30日) | ||||
隣接自治体 |
津川町、三川村、新発田市 福島県西会津町、山都町 山形県飯豊町、小国町 | ||||
町の木 | ユキツバキ | ||||
町の花 | ユキツバキ | ||||
他のシンボル | 町歌『ときめきの彩』 | ||||
鹿瀬町役場 | |||||
所在地 |
〒959-4392 新潟県東蒲原郡鹿瀬町鹿瀬8931 | ||||
外部リンク | 鹿瀬町HP(アーカイブ) | ||||
座標 | 北緯37度41分36秒 東経139度28分55秒 / 北緯37.69322度 東経139.48181度座標: 北緯37度41分36秒 東経139度28分55秒 / 北緯37.69322度 東経139.48181度 | ||||
ウィキプロジェクト |
鹿瀬町(かのせまち)は、新潟県東蒲原郡にあった町。2005年4月1日、津川町、上川村、三川村との合併による阿賀町の発足により消滅した。
概要
[編集]町域は明治期に国内2位の産銅量を誇った草倉銅山で賑わい[1]、その後は昭和電工鹿瀬工場の企業城下町として発展した性質をもつ[2]。同工場から阿賀野川へ流出した水銀が発端となり新潟水俣病が発生した。
津川町への通勤率は16.0%(平成12年国勢調査)。
地理
[編集]歴史
[編集]沿革
[編集]- 1955年(昭和30年)4月1日 - 東蒲原郡両鹿瀬村、豊実村、日出谷村が合併し、鹿実谷村(かみたにむら)が発足。
- 1956年(昭和31年)
- 1月1日 - 町制施行し鹿実谷町(かみたにまち)となる。
- 1月10日 - 名称を鹿瀬町に変更。
- 2005年(平成17年)4月1日 - 東蒲原郡津川町、上川村、三川村と合併し、阿賀町となり消滅。
行政
[編集]- 町長:長沢均(1987年12月6日から)
経済
[編集]産業
[編集]教育
[編集]- 鹿瀬小学校
- 日出谷小学校
- 鹿瀬中学校
交通
[編集]道路
[編集]鉄道
[編集]観光
[編集]- 奥阿賀遊覧船「奥阿賀丸」
- 角神青少年旅行村
- 角神温泉・角神スキー場・角神りんご園
- かのせ温泉
- 麒麟山温泉
- 赤崎山展望台・森林公園
- 角神釣り場・つかみどり場
- 奥阿賀ふるさと館
- ふくろう会館・アートギャラリー
- 実川渓谷
- 不動滝
- 飯豊山登山
- 護徳寺:観音堂は国の重要文化財
- 五十嵐家住宅:主屋、上手蔵、下手蔵は国の重要文化財
- SLばんえつ物語号
- 鍾馗(しょうき)様祭り
脚注
[編集]- ^ “阿賀の近代産業”. 阿賀の学習教材サイト. 一般社団法人あがのがわ環境学舎. 2021年9月12日閲覧。
- ^ 地域再発見講座(第15回)「旧昭和電工㈱ものがたり~カーバイト電炉の輝き・企業城下町の記憶~」 - 阿賀野川え〜とこだ!流域通信.2019年1月18日閲覧。
- ^ 鹿瀬観光マップ(鹿瀬町) - ウェイバックマシン(2005年2月9日アーカイブ分)
- ^ 町の見どころ(鹿瀬町) - ウェイバックマシン(2005年2月14日アーカイブ分)
参考文献
[編集]- 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 鹿瀬町HP(アーカイブ) - WayBack Machine
- 東蒲原郡町村合併協議会HP(アーカイブ) - WayBack Machine
- 鹿瀬町観光マップ