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三戸基介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大正9年頃の三戸基介

三戸 基介(みと もとすけ、1882年明治15年〉4月12日 - 1971年昭和46年〉7月16日)は、日本の海軍軍人である。最終階級は海軍少将海軍兵学校32期。弟は三戸由彦海軍中将(海軍機関学校20期)。

経歴

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山口県萩市出身。同市中学校卒業後、海軍兵学校に入学(第32期)。明治37年(1904年)11月卒業。翌年8月、少尉に任官。長門航海長、那珂艦長を歴任し、1930年(昭和5年)に海軍少将に昇進。同期に山本五十六がいる。

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[1]

1971年(昭和46年)7月、神奈川県逗子市で没(墓所は多磨霊園)。

年譜

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長門甲板にて(右から3番目)

栄典

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親族

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  • 父 三戸四朗
  • 母 三戸セツ
  • 弟 三戸由彦(海軍中将

脚注

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  1. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」43頁。
  2. ^ 『官報』第6682号「叙任及辞令」1905年10月5日。
  3. ^ 『官報』第7329号「叙任及辞令」1907年12月2日。
  4. ^ 『官報』第949号「叙任及辞令」1930年3月1日。