三戸基介
表示
三戸 基介(みと もとすけ、1882年〈明治15年〉4月12日 - 1971年〈昭和46年〉7月16日)は、日本の海軍軍人である。最終階級は海軍少将。海軍兵学校32期。弟は三戸由彦海軍中将(海軍機関学校20期)。
経歴
[編集]山口県萩市出身。同市中学校卒業後、海軍兵学校に入学(第32期)。明治37年(1904年)11月卒業。翌年8月、少尉に任官。長門航海長、那珂艦長を歴任し、1930年(昭和5年)に海軍少将に昇進。同期に山本五十六がいる。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[1]。
1971年(昭和46年)7月、神奈川県逗子市で没(墓所は多磨霊園)。
年譜
[編集]- 1904年(明治37年)11月14日 - 海軍兵学校を卒業。
- 1904年(明治37年)11月14日 - 海軍少尉候補生、韓崎丸乗組。
- 1905年(明治38年)1月3日 - 春日乗組。
- 1905年(明治38年)8月31日 - 海軍少尉。
- 1906年(明治39年)2月16日 - 姉川丸乗組。
- 1906年(明治39年)12月10日 - 白露乗組。
- 1907年(明治40年)9月28日 - 海軍中尉。
- 1908年(明治41年)12月23日 - 松江乗組。
- 1909年(明治42年)10月11日 - 横須賀海兵団分隊長心得。
- 1910年(明治43年)3月19日 - 海軍大尉、横須賀海兵団分隊長。
- 1911年(明治44年)5月22日 - 日進分隊長。
- 1911年(明治44年)12月1日 - 鈴谷航海長。
- 1913年(大正2年)4月1日 - 佐世保鎮守府附。
- 1913年(大正2年)5月24日 - 笠置航海長。
- 1915年(大正4年)7月19日 - 出雲航海長心得。
- 1915年(大正4年)12月13日 - 海軍少佐、出雲航海長。
- 1916年(大正5年)8月1日 - 三笠航海長。
- 1917年(大正6年)7月12日 - 三笠航海長/分隊長。
- 1917年(大正6年)8月11日 - 鹿島航海長。
- 1917年(大正6年)12月1日 - 呉鎮守府附。
- 1918年(大正7年)6月1日 - 龍田艤装員。
- 1918年(大正7年)9月20日 - 龍田副長/艤装員。
- 1918年(大正7年)12月1日 - 日向航海長。
- 1919年(大正8年)4月1日 - 日向航海長/分隊長。
- 1919年(大正8年)12月1日 - 長門艤装員。
- 1920年(大正9年)3月2日 - 長門航海長/分隊長/艤装員。
- 1920年(大正9年)12月1日 - 海軍中佐。
- 1923年(大正12年)10月15日 - 横須賀鎮守府附。
- 1923年(大正12年)11月10日 - 水路部第二課長。
- 1924年(大正13年)12月1日 - 海軍大佐。
- 1926年(大正15年)12月1日 - 横須賀鎮守府附。
- 1927年(昭和2年)4月5日 - 那珂艦長。
- 1927年(昭和2年)11月1日 - 横須賀鎮守府附。
- 1927年(昭和2年)12月1日 - 横須賀港務部長。
- 1930年(昭和5年)12月1日 - 海軍少将。
栄典
[編集]親族
[編集]- 父 三戸四朗
- 母 三戸セツ
- 弟 三戸由彦(海軍中将)