三日月 (初代神風型駆逐艦)
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艦歴 | |
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計画 | 1904年度[1] |
起工 | 1905年6月1日[1] |
進水 | 1906年5月26日[1] |
就役 | 1906年9月12日[1] |
その後 | 1912年8月28日三等駆逐艦[1] 1928年7月6日廃駆逐艦第2号と仮称[1] |
除籍 | 1928年4月1日[1] |
処分 | 1930年7月21日海没[1] |
性能諸元 | |
排水量 | 常備:381t 満載:450t |
全長 | 69.2メートル |
全幅 | 6.6メートル |
吃水 | 1.8メートル |
機関 | レシプロエンジン2基2軸、6,000hp |
最大速力 | 29ノット |
航続距離 | 11ノット/850カイリ |
乗員 | 70人 |
兵装 | 80mm(40口径)単装砲 2門 80mm(28口径)単装砲 4門 450mm魚雷発射管 2門 |
三日月(みかづき)は、大日本帝国海軍の駆逐艦で、神風型駆逐艦 (初代)の17番艦である。同名艦に睦月型駆逐艦の「三日月」があるため、こちらは「三日月 (初代)」や「三日月I」などと表記される。
艦歴
[編集]1905年(明治38年)2月15日命名(製造番号第17号)[2]。同年6月1日、佐世保海軍工廠で起工[3]。1906年(明治39年)5月26日、進水[3]。同年5月29日、駆逐艦に類別[4]。同年9月12日竣工[3]。
第一次世界大戦では、青島の戦いに参加[1]。シベリア出兵時には沿海州の沿岸警備を行った[1]。
1928年(昭和3年)4月1日、除籍[5][6]。同年7月6日、廃駆逐艦第2号と仮称。1930年(昭和5年)7月21日、海没処分[1]。
艦長
[編集]※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。
- 駆逐艦長
- (兼)平井徳蔵 少佐:1906年8月10日 - 8月30日
- 宮村暦造 大尉:1906年8月30日 - 9月28日
- 田島條二 大尉:1906年9月28日 -
- 中桐啓太 大尉:1907年6月13日 - 9月28日
- 磯田敏祐 大尉:1907年9月28日 - 1909年4月29日
- 園田義治 大尉:1909年4月29日 - 12月1日
- (兼)田辺金次郎 大尉:1909年12月1日 - 1910年12月1日
- 副島村八 大尉:1910年12月1日 - 1911年5月23日
- 柳原継雄 少佐:1911年5月23日 - 9月13日
- 武久完 大尉:1911年9月13日 - 1912年5月22日
- 山中義勇 大尉:1912年5月22日 - 12月1日
- (兼)大谷箭太郎 大尉:1912年12月1日 - 12月20日
- 北村栄虎 少佐:1912年12月20日 - 1914年5月27日
- 長谷川清 少佐:1914年5月27日 - 8月24日
- 柘植道二 少佐:不詳 - 1916年6月1日
- 岡内弥三郎 大尉:1916年6月1日 - 12月1日
- 森田重房 大尉:1916年12月1日 - 1917年7月2日
- 佐藤六平 少佐:1917年7月2日 - 12月1日[7]
- 原精太郎 大尉:1917年12月1日 - 1919年8月20日
- 大熊政吉 大尉:1919年8月20日 - 1919年12月1日
- (兼)鈴木幸三 大尉:1919年12月1日 - 1920年3月15日
- 藤堂功 大尉:1920年3月15日 - 1920年12月1日
- 中田操 大尉:1920年12月1日[8] - 1921年11月1日[9]
- (兼)柳原信男 大尉:1921年11月1日[9] - 11月20日[10]
- (兼)杉山六蔵 大尉:1921年11月20日 - 1921年12月1日
- 太田泰治 少佐:1921年12月1日 - 1922年1月10日
- 鈴木田幸造 大尉:1922年1月10日[11] - 1922年12月1日[12]
- 河原金之輔 大尉:1922年12月1日[12] - 1923年11月10日[13]
- 新井清 大尉:1923年11月10日[13] - 1924年12月1日[14]
- 伊藤皎 大尉:1924年12月1日[14] - 1925年5月1日[15]
- 山口次平 大尉:1925年5月1日 - 1926年12月1日
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k 『日本海軍史』第7巻、292頁。
- ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.205『◎驅逐艦神風外二十四隻命名ノ件 明治三十八年二月十五日(達一七)臨時軍事費ヲ以テ建造スヘキ驅逐艦二十五隻ヘ左ノ通命名セラル|製造番號 製造所 艦名|第一號 横須賀海軍工廠 神風カミカゼ/第二號 同 初霜ハツシモ/第三號 同 彌生ヤヨヒ/第四號 同 如月キサラギ/第五號 長崎三菱造船所 白露シラツユ/第六號 同 白雪シラユキ/第七號 同 松風マツカゼ/第八號 神戸川崎造船所 朝風アサカゼ/第九號 同 春風ハルカゼ/第十号 同 時雨シグレ/第十一號 大阪鐡工場 朝露アサツユ/第十二號 同 疾風ハヤテ/第十三號 舞鶴海軍工廠 追風オヒテ/第十四號 同 夕凪ユフナギ/第十五號 佐世保海軍工廠 夕暮ユフグレ/第十六號 同 夕立ユフダチ/第十七號 同 三日月ミカヅキ/第十八號 同 野分ノワキ/第十九號 呉海軍工廠 潮ウシホ/第二十號 同 子日ネノヒ/第二十一號 横須賀海軍工廠 響ヒビキ/第二十二號 長崎三菱造船所 白妙シロタヘ/第二十三號 神戸川崎造船所 初春ハツハル/第二十四號 横須賀海軍工廠 若葉ワカバ/第二十五號 同 初雪ハツユキ』
- ^ a b c #海軍制度沿革(巻11、1940)p.562『三日月|三等驅逐艦|(要目略)|佐世保工廠|38-6-1|39-5-26|39-9-12|(武装略)』
- ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.54『明治三十九年五月二十九日(達七六)艦艇類別等級別表中驅逐艦ノ欄内「疾風」ノ次ニ「三日月」ヲ加フ』
- ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.66『昭和三年四月一日(内令九〇)艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 軍艦ノ部海防艦二等ノ項中「千歳、明石、」ヲ、砲艦一等ノ項中「最上、」ヲ削ル|驅逐艦三等ノ項中「白露型」及「白露、三日月」ヲ削ル|掃海艇ノ部中「潮型」ヲ「浦波型」ニ改メ同部中「潮、夕立、夕暮、神風、初霜、如月、響」及「、子日、朝風、若葉、春風、初雪」ヲ削ル』
- ^ #除籍駆逐艦(2)pp.21-23『舊三日月(千噸以下)(略)(昭和三.四.一驅逐艦籍ヨリ除カル)』
- ^ 『官報』第1601号、大正6年12月3日。
- ^ 『官報』第2501号、大正9年12月2日。
- ^ a b 『官報』第2776号、大正10年11月2日。
- ^ 『官報』第2793号、大正10年11月22日。
- ^ 『官報』第2830号、大正11年1月11日。
- ^ a b 『官報』第3102号、大正11年12月2日。
- ^ a b 『官報』第3368号、大正12年11月13日。
- ^ a b 『官報』第3684号、大正13年12月2日。
- ^ 『官報』第3807号、大正14年5月4日。
参考文献
[編集]- 国立国会図書館デジタルコレクション - 国立国会図書館
- 海軍大臣官房『海軍制度沿革. 巻8(1940年印刷) info:ndljp/pid/1886716』海軍大臣官房、1940年。
- 海軍大臣官房『海軍制度沿革. 巻11(1940年印刷) info:ndljp/pid/1886713』海軍大臣官房、1940年。
- アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
- 『恩給叙勲年加算調査 下巻 除籍艦艇 船舶及特務艇 昭和9年12月31日/除籍艦艇/駆逐艦(2)』。Ref.C14010006000。
- 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料編、KKベストセラーズ、1994年。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』普及版、光人社、2003年。
- 『世界の艦船増刊第107集 日本駆逐艦史』海人社、2012年12月。