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追風 (初代神風型駆逐艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
艦歴
計画 1904年度[1]
起工 1905年8月1日[1]
進水 1906年1月10日[1]
就役 1906年8月21日[1]
その後 1912年8月28日三等駆逐艦[1]
1925年11月18日雑役船編入、交通船兼曳船指定、公称第620号と改名[1]
除籍 1924年12月1日[1]
廃船 1930年12月8日[1]
売却 1931年5月28日[1]
性能諸元
排水量 常備:381t
満載:450t
全長 69.2メートル
全幅 6.6メートル
吃水 1.8メートル
機関 レシプロエンジン2基2軸、6,000hp
最大速力 29ノット
航続距離 11ノット/850カイリ
乗員 70人
兵装 80mm(40口径)単装砲 2門
80mm(28口径)単装砲 4門
450mm魚雷発射管 2門

追風(おいて / おひて)は、大日本帝国海軍駆逐艦で、神風型駆逐艦 (初代)の13番艦である。同名艦に神風型駆逐艦 (2代)の「追風」があるため、こちらは「追風 (初代)」や「追風I」などと表記される。

艦歴

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1905年明治38年)2月15日、命名(製造番号第13号)[2]。同年8月1日、舞鶴海軍工廠で起工[1](三菱造船所で起工との文献がある[3])。1906年(明治39年)1月10日、進水[3]。同月15日、駆逐艦に類別[4]。同年8月21日、竣工[3]

1924年大正13年)12月1日、除籍[5][6]1925年(大正14年)11月18日、雑役船に編入され、交通船兼曳船(公称第620号)に指定。1930年昭和5年)12月8日、廃船。1931年(昭和6年)5月28日売却。高知県で漁礁として海没[1]

艦長

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※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

駆逐艦長
  • 遠矢勇之助 少佐:1906年7月3日 - 1907年3月21日
  • 末次綱吉 大尉:1907年3月21日 - 1908年6月23日
  • 園田信正 大尉:1908年6月23日 - 1909年12月1日
  • 前田数馬 大尉:1909年12月1日 - 1911年5月23日
  • 幸山三枝 大尉:1911年5月23日 - 1912年9月7日
  • 宮部光利 大尉:1912年9月7日 - 1913年5月24日
  • 藤田三他人 大尉:1913年5月24日 - 12月1日
  • 丹下弘男 大尉:1913年12月1日 - 1915年12月13日
  • 池田喜蔵 大尉:1915年12月13日 - 1917年12月1日[7]
  • 倉田七郎 大尉:1917年12月1日[7] - 1918年9月10日[8]
  • 田中恒太郎 大尉:1918年9月10日[8] - 9月12日[9]
  • 大崎義雄 少佐:1918年9月12日[9] - 1919年12月1日[10]
  • 村島徤三 大尉:1919年12月1日[10] - 1920年5月6日[11]
  • 斎藤二朗 大尉:1920年5月6日 - 1920年10月5日
  • (兼)中村熊三 中佐:1920年10月5日[12] - 1920年12月1日[13]
  • 実吉敏郎 大尉:1920年12月1日[13] - 1921年7月26日[14]
  • (兼)春日末章 大尉:1921年7月26日[14] - 8月6日[15]
  • 栗田健男 大尉:1921年8月6日 - 1921年9月6日
  • (兼)佐藤立一 大尉:1921年9月6日[16] - 1921年11月10日[17]
  • 平岡貞 大尉:1921年11月10日[17] - 1923年5月1日[18]
  • (兼)村瀬頼治 大尉:1923年5月1日[18] - 1924年2月5日[19]
  • (兼)宮武重敏 大尉:1924年2月5日[19] - 5月20日[20]
  • 津田源助 大尉:1924年5月20日[20] -

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k 『日本海軍史』第7巻、291頁。
  2. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.205『◎驅逐艦神風外二十四隻命名ノ件 明治三十八年二月十五日(達一七)臨時軍事費ヲ以テ建造スヘキ驅逐艦二十五隻ヘ左ノ通命名セラル|製造番號 製造所 艦名|第一號 横須賀海軍工廠 神風カミカゼ/第二號 同 初霜ハツシモ/第三號 同 彌生ヤヨヒ/第四號 同 如月キサラギ/第五號 長崎三菱造船所 白露シラツユ/第六號 同 白雪シラユキ/第七號 同 松風マツカゼ/第八號 神戸川崎造船所 朝風アサカゼ/第九號 同 春風ハルカゼ/第十号 同 時雨シグレ/第十一號 大阪鐡工場 朝露アサツユ/第十二號 同 疾風ハヤテ/第十三號 舞鶴海軍工廠 追風オヒテ/第十四號 同 夕凪ユフナギ/第十五號 佐世保海軍工廠 夕暮ユフグレ/第十六號 同 夕立ユフダチ/第十七號 同 三日月ミカヅキ/第十八號 同 野分ノワキ/第十九號 呉海軍工廠 潮ウシホ/第二十號 同 子日ネノヒ/第二十一號 横須賀海軍工廠 響ヒビキ/第二十二號 長崎三菱造船所 白妙シロタヘ/第二十三號 神戸川崎造船所 初春ハツハル/第二十四號 横須賀海軍工廠 若葉ワカバ/第二十五號 同 初雪ハツユキ』
  3. ^ a b c #幕末以降p.93『追風(起工)38-8-1(進水)39-1-10(竣工)39-8-21(建造所)三菱造船所』
  4. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.54『明治三十九年一月十五日(達一)艦艇類別等級別表中驅逐艦ノ欄内「春風」ノ次ニ「追風」ヲ加フ』
  5. ^ #達大正13年12月p.1『達第百三十六號 驅逐艦 有明 同 吹雪 同 夕凪 同 時雨 同 追風 同 疾風 同 彌生 同 卯月 同 初春 右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル 大正十三年十二月一日 海軍大臣 財部彪』
  6. ^ #除籍駆逐艦(3)pp.38-39『舊追風(千噸以下)(略)(大正十三年十二月一日除籍)』
  7. ^ a b 『官報』第1601号、大正6年12月3日。
  8. ^ a b 海軍辞令公報 大正7年9月」 アジア歴史資料センター Ref.C12070263200 
  9. ^ a b 『官報』第1835号、大正7年9月13日。
  10. ^ a b 『官報』第2199号、大正8年12月2日。
  11. ^ 『官報』第2327号、大正9年5月7日。
  12. ^ 『官報』第2454号、大正9年10月6日。
  13. ^ a b 『官報』第2501号、大正9年12月2日。
  14. ^ a b 『官報』第2697号、大正10年7月27日。
  15. ^ 『官報』第2706号、大正10年8月8日。
  16. ^ 『官報』第2731号、大正10年9月7日。
  17. ^ a b 『官報』第2784号、大正10年11月11日。
  18. ^ a b 『官報』第3224号、大正12年5月2日。
  19. ^ a b 『官報』第3434号、大正13年2月6日。
  20. ^ a b 『官報』第3521号、大正13年5月21日。

参考文献

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  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『大正13年達完/12月』。Ref.C12070084200。 
    • 『恩給叙勲年加算調査 下巻 除籍艦艇 船舶及特務艇 昭和9年12月31日/除籍艦艇/駆逐艦(3)』。Ref.C14010006100。 
  • 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料編、KKベストセラーズ、1994年。
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』普及版、光人社、2003年。
  • 『世界の艦船増刊第107集 日本駆逐艦史』海人社、2012年12月。

関連項目

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