三日町 (八戸市)
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三日町 | |
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北緯40度30分35.27秒 東経141度29分23.87秒 / 北緯40.5097972度 東経141.4899639度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 青森県 |
市町村 | 八戸市 |
人口 | |
• 合計 | 16人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
031-0032 |
市外局番 | 0178[2] |
ナンバープレート | 八戸 |
三日町(みっかまち)は、八戸中心市街地を構成する街区の一つ。青森県八戸市の地名。
地理
[編集]八戸市中心市街地に位置し、さくら野百貨店八戸店を中心に商業施設が立地している。表通り(国道340号)が地区の中央を東西に通り、八戸市のメインストリート、目抜き通りにあたる。北に番町、東に八日町、南に六日町、西に十三日町に面している。鉄道の駅はJR八戸線本八戸駅が最寄駅である。
歴史
[編集]地名の由来
[編集]三日町は藩政時代の市が開かれた日にちに由来している。商人の町として江戸時代から栄えていた。
沿革
[編集]藩政時代、八戸城下町の中央部に位置する町人町だった。
- 1629年(寛永6年)頃、根城城下の町家が移転されて三日町がつくられる。(盛岡藩時代)[3]
- 当時は、現在の十三日町及び、廿三日町の地区と同じように「上町(かみちょう)」または、「根城町」と言われていた。
- 1646年(正保3年)の雑書によると、この当時19軒の町屋があったと記録されている。[4]
- 1665年(寛文5年)八戸城下で初めての制札場が三日町に置かれる。
- 1669年(延宝7年)掫駒が行われる。
- 1674年(延宝2年)十三日町から出火した火事で、三日町の21軒が焼失。[5]
- 1696年(元禄9年)この頃すでに酒屋が2軒営業していた。
- 1861年 - 1864年(文政年間)の八戸御城下略図によると「三日町」の記述があり、町家とされていた。
- この頃既に城下略図の東端には小路の長横町が記録されている。
- 1722年(享保7年)酒造業を営んで、後に八戸三店の一つと言われた「豪商近江屋」が現在の盛岡市から三日町に移住
- 1825年(文政8年)大火で三日町の南側の住宅21軒、土蔵8棟、小屋21棟が焼失。[7]
- 1829年(文政12年)大火で家屋36軒、44世帯を焼失。[3]
- 1833年(天保4年)商人町の出入り口として町口門である通称「黒門」が建設される。
- 1861年(万延2年)塩小売座商人が1人、木綿屋2人が居住[9]
- 1868年(明治元年)頃、39軒の家があった。[10]
- 1890年(明治32年)「向鶴」の記録によると、穀物商2軒、旅人宿1軒、酒造家1軒、陶器商3軒、薬品商1軒、八百屋商3軒、乗合馬車宿1軒、洋服店1軒が三日町に立地していた。
産業
[編集]商業
金融機関
- 青森銀行三日町支店
交流施設
ギャラリー
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さくら野百貨店八戸店(2007年7月)
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かつて存在したロッテリア三日町店(2008年3月16日の閉店当日にて。<現在は貴金属買取専門店が入居>)
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語らい処「坐・和民」本八戸三日町店(2007年12月)
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はっち(2011年2月)