三枝彦太郎
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三枝 彦太郎(さいぐさ ひこたろう、1873年(明治6年)10月22日[1] - 1929年(昭和4年)4月17日[1][2])は、明治後期から昭和初期の実業家・政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]山梨県[2]都留郡鹿留村(南都留郡桂村、東桂村[1][3]鹿留[4]を経て現都留市[1]鹿留)で、三枝彦兵衛の長男として生まれる[4][5]。東京錦城学校(現錦城学園高等学校)で学んだ[1]。1898年(明治31年)家督を相続[5]。
1902年(明治35年)合名会社電灯広告社を創立し代表社員に就任[1][2][3][4]。その他、日本化工取締役、日本乳酸取締役、桂電燈取締役などを務めた[2][3]。
1920年(大正9年)5月、第14回衆議院議員総選挙で山梨県第5区から立憲政友会公認で出馬して当選し[1][6]、衆議院議員に1期在任した[2][3]。この間、中央線電化促進などに尽力した[1]。1924年(大正13年)5月の第15回総選挙(山梨県第5区、立憲政友会公認)に立候補したが次点で落選し[7]政界を引退した。
その後は実業に専念するとともに[1][4]、郷土子弟の教育のため奨学資金を提供し[1]、また幸福社を設けて社会事業にも取り組んだ[1]。