三河岩脇駅
表示
三河岩脇駅 | |
---|---|
みかわいわわき MIKAWA IWAWAKI | |
所在地 | 愛知県岡崎市 |
所属事業者 | 名古屋鉄道(名鉄) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面2線 |
乗車人員 -統計年度- |
636人/日(降車客含まず) -1972年[1]- |
開業年月日 | 1929年(昭和4年)12月18日 |
廃止年月日 | 1973年(昭和48年)3月4日* |
乗入路線 | |
所属路線 | 挙母線 |
キロ程 | 6.4 km(上挙母起点) |
◄細川 (0.8 km) (2.3 km) 岩津► | |
所属路線 | 門立支線 |
キロ程 | 0.0 km(三河岩脇起点) |
(0.8 km) 細川► | |
備考 | *門立支線は1939年(昭和14年)10月3日に廃止 |
三河岩脇駅(みかわいわわきえき)は、かつて愛知県岡崎市にあった、名鉄挙母線の駅。
歴史
[編集]- 1929年(昭和4年)12月18日 - 三河鉄道により岩津 - 細川間に開業。同時に当駅 - 上挙母間が開業し、岡崎井田 - 上挙母間が岡崎線に、当駅 - 門立間が門立支線となり、両線の接続駅となる。
- 1938年(昭和13年)5月1日 - 門立支線休止。
- 1939年(昭和14年)10月3日 - 門立支線廃止により岡崎線の単独駅となる[2]。
- 1941年(昭和16年)6月1日 - 三河鉄道が名古屋鉄道に吸収合併される。
- 1948年(昭和23年)5月16日 - 岡崎線が挙母線に改称、同線の駅となる。
- 1969年(昭和44年)8月1日 - 無人化[3]。この頃交換設備が撤去される。
- 1973年(昭和48年)3月4日 - 挙母線の全線廃止により廃駅。
駅構造
[編集]配線図
[編集] ← 上挙母方面 |
→ 大樹寺方面 |
|
凡例 出典:停車場配線略図 昭和32年調査[4] |
利用状況
[編集]『愛知県統計書』『愛知県統計年鑑』『岡崎市史』等によると、年間および一日平均の乗車人員、乗降人員の推移は以下の通りである。
年 | 年間統計 | 一日平均 | 備考 | ||
---|---|---|---|---|---|
乗車人員 | 乗降人員 | 乗車人員 | 乗降人員 | ||
1933(昭和 | 8)年度7,255 | 11,446 | 20 | 31 | [5] |
1934(昭和 | 9)年度5,860 | 10,116 | 16 | 28 | [6] |
1935(昭和10)年度 | 6,654 | 10,618 | 18 | 29 | [7] |
1936(昭和11)年度 | 6,451 | 10,367 | 18 | 28 | [8] |
1937(昭和12)年度 | 21,576 | 25,236 | 59 | 69 | [9] |
1938(昭和13)年度 | 11,772 | 26,051 | 32 | 71 | [10] |
1939(昭和14)年度 | 28,576 | 55,997 | 78 | 153 | [11] |
1940(昭和15)年度 | 47,556 | 94,250 | 130 | 258 | [12] |
1941(昭和16)年度 | |||||
1942(昭和17)年度 | |||||
1943(昭和18)年度 | |||||
1944(昭和19)年度 | |||||
1945(昭和20)年度 | |||||
1946(昭和21)年度 | |||||
1947(昭和22)年度 | |||||
1948(昭和23)年度 | |||||
1949(昭和24)年度 | 96,000 | 193,000 | *263 | *529 | 期間は1949年5月 - 1950年4月末[13] |
1950(昭和25)年度 | 89,000 | 184,000 | *244 | *504 | 期間は1949年11月 - 1950年10月末[14] |
1951(昭和26)年度 | 94,000 | 188,000 | *257 | *514 | [15] |
1952(昭和27)年度 | 77,614 | 156,251 | 213 | 428 | [16][17] |
1953(昭和28)年度 | 74,000 | 151,000 | 204 | 416 | [18] |
1954(昭和29)年度 | 79,000 | 156,000 | 216 | 427 | [19] |
1955(昭和30)年度 | 84,027 | 167,080 | 230 | 464 | [16][20] |
1956(昭和31)年度 | 86,000 | 172,000 | 236 | 472 | [21] |
1957(昭和32)年度 | 97,000 | 193,000 | 265 | 528 | [22] |
1958(昭和33)年度 | |||||
1959(昭和34)年度 | |||||
1960(昭和35)年度 | 91,989 | 183,630 | [16] | ||
1961(昭和36)年度 | |||||
1962(昭和37)年度 上半期 | 301 | [1] | |||
1963(昭和38)年度 | |||||
1964(昭和39)年度 | |||||
1965(昭和40)年度 | 143,325 | 286,515 | [16] | ||
1966(昭和41)年度 | |||||
1967(昭和42)年度 | 377 | [1] | |||
1968(昭和43)年度 | |||||
1969(昭和44)年度 | |||||
1970(昭和45)年度 | 132,423 | 293,463 | [16] | ||
1971(昭和46)年度 | |||||
1972(昭和47)年度 | 636 | [1] | |||
1973(昭和48)年度 |
斜体の値は千人単位(千人未満四捨五入)
* 千人単位からの概算値
その他
[編集]- 駅跡は空き地となっている。ホーム跡が長らく存在していたが撤去され、駅の痕跡は無い。
隣の駅
[編集]- 三河鉄道
- 門立支線
- 三河岩脇駅 - 細川駅
脚注
[編集]- ^ a b c d 市川満「姿を消した岡崎の名鉄線」『鉄道ピクトリアル』第370巻、電気車研究会、1979年、141頁
- ^ 「鉄道営業廃止」『官報』1939年10月7日(国立国会図書館デジタル化資料)
- ^ 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、887頁。
- ^ 清水武、田中義人『名古屋鉄道車両史 下巻』アルファベータブックス、2019年、185頁。ISBN 978-4865988482。
- ^ 『愛知県統計書. 昭和8年 第1編』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 昭和9年 第1編 土地、戸口、其他』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 昭和10年 第1編』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 昭和11年 第1編』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 昭和12年 第1編』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 昭和13年 第1編』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 昭和14年 第1編』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 昭和15年 第1編 土地、戸口、其他』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 昭和24年』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 愛知県(編)『愛知県統計年鑑 昭和27年刊行』、愛知県、1952年、331頁
- ^ 愛知県(編)『愛知県統計年鑑 昭和28年刊行』、愛知県、1953年、315頁
- ^ a b c d e 新編岡崎市史編集委員会(編)『新編岡崎市史 11 史料現代』、岡崎市、1983年、728頁
- ^ 愛知県(編)『愛知県統計年鑑 昭和29年刊行』、愛知県、1954年、334頁
- ^ 愛知県(編)『愛知県統計年鑑 昭和30年刊行』、愛知県、1955年、310頁
- ^ 愛知県(編)『愛知県統計年鑑 昭和31年刊行』、愛知県、1956年、307頁
- ^ 愛知県(編)『愛知県統計年鑑 昭和32年刊行』、愛知県、1957年、323頁
- ^ 愛知県(編)『愛知県統計年鑑 昭和33年刊行』、愛知県、1958年、339頁
- ^ 愛知県(編)『愛知県統計年鑑 昭和34年刊行』、愛知県、1959年、383頁