三浦為脩
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 宝暦9年4月11日(1759年5月7日) |
死没 | 寛政元年9月4日(1789年10月22日) |
改名 | 久米之丞(幼名)→三浦為脩 |
別名 | 将監(通称)、丈之助(通称) |
戒名 | 厳浄土院義嶽慧了 |
墓所 | 了法寺(和歌山県和歌山市) |
官位 | 従五位下、長門守 |
主君 | 徳川重倫→治貞 |
藩 | 紀州藩家老 |
氏族 | 紀伊徳川家→三浦氏 |
父母 |
父:徳川宗将、母:村上氏 養父:三浦為恭 |
兄弟 | 直松、徳川重倫、門之進、内藤学文、松平頼興、松平頼謙、松平忠功、三浦為脩、松平忠和、安藤道紀、阿部正由 |
妻 | 正室:植村家道の娘 |
子 | 為積 |
三浦 為脩(みうら ためのぶ)は、江戸時代後期の紀州藩家老。三浦長門守家第5代当主。父は紀州藩第7代藩主・徳川宗将。養父は和歌山藩家老・三浦為恭。官位は従五位下長門守。
生涯
[編集]宝暦9年(1759年)4月11日、和歌山藩主・徳川宗将の八男として生まれる。母は側室・村上氏。宝暦10年(1760年)5月に和歌山藩家老・三浦為恭の養子となり、将監と称する。明和3年(1766年)3月に通称を丈之助に改め、同年4月には兄である藩主・徳川重倫に拝謁する。
安永3年(1774年)5月の元服に際しては、兄の重倫が前髪執の儀を行い、備前長船祐定の太刀を下賜している。翌安永4年(1774年)7月、養父・為恭の死去により家督相続し、安永5年(1777年)9月に江戸に出府して第10代将軍・徳川家治と世子・徳川家基に拝謁。同年12月、従五位下長門守に任官し、家老となる。
天明元年(1781年)6月に徳川家斉が将軍家の世子となり、同年7月に江戸城で拝賀する。天明7年(1787年)3月に家斉が将軍宣下を受けると、為脩は奉賀使として江戸に出府し、同年4月22日に江戸城で家斉に拝賀した。
寛政元年(1789年)9月4日、死去。享年31(満30歳没)。墓所は和歌山県和歌山市の了法寺。家督は嫡男・為積が相続した。
参考文献
[編集]- 『三浦系図伝 完』(和歌山県立図書館所蔵)