安藤道紀
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時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 宝暦9年12月21日(1760年2月7日) |
死没 | 文政7年11月16日(1825年1月4日) |
改名 | 徳川益之助(幼名)、松平頼融、安藤道紀 |
別名 | 勘解由(通称) |
墓所 | 愛知県岡崎市大和町の妙源寺 |
官位 | 従五位下帯刀 |
主君 | 徳川治宝 |
藩 | 紀伊田辺藩主 |
氏族 | 紀伊徳川家→安藤氏 |
父母 | 父:徳川宗将、母:村上氏 養父:安藤次猷 |
兄弟 |
直松、徳川重倫、門之進、内藤学文、 松平頼興、松平頼謙、松平忠功、 三浦為脩、松平忠和、道紀、阿部正由、 千間姫、琴姫、致姫、逸姫、従姫 |
妻 |
正室:飛鳥井雅重娘 継室:中御門宗美娘 |
子 |
男子8人(全て早世)、真珠院 養子:直與、養女:安藤直與正室 |
安藤 道紀(あんどう みちのり)は、江戸時代後期の紀伊国田辺藩12代藩主。通称は勘解由。官位は従五位下・帯刀。
生涯
[編集]宝暦9年(1760年)12月21日、和歌山藩主・徳川宗将の十男として誕生。幼名は益之助。初名は頼融、直矢。寛政4年(1792年)10月27日に田辺藩11代藩主・安藤次猷の養子となる。
享和元年(1801年)5月9日、次猷が隠居したためその跡を継ぐ。藩政改革のため、養蚕御用所の設置、田辺城下の戸数、牛馬の調査などを行った。
文化5年(1808年)5月16日、家督を養子・直與(大身旗本・安藤直之の五男)に譲って隠居した。文政7年(1825年)11月16日、死去した。享年66(満64歳没)。
系譜
[編集]- 父:徳川宗将(1720-1765)
- 母:村上氏
- 養父:安藤次猷(1749-1827)
- 正室:権大納言飛鳥井雅重の娘
- 継室:権大納言中御門宗美の娘
- 生母不明の子女
- 男子8人 - 全て早世
- 女子:真珠院 - 三浦為積正室
- 養子