三熊野神社 (掛川市)
三熊野神社 | |
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鳥居と拝殿 | |
所在地 | 静岡県掛川市西大渕5631-1 |
位置 | 北緯34度40分56.9秒 東経137度59分0.5秒 / 北緯34.682472度 東経137.983472度座標: 北緯34度40分56.9秒 東経137度59分0.5秒 / 北緯34.682472度 東経137.983472度 |
主祭神 |
伊邪那美命 速玉男命 事解男命 |
社格等 | 旧県社 |
創建 | 伝大宝年間(8世紀初頭) |
本殿の様式 | 流造 |
例祭 |
4月第一金曜日から翌々日まで (遠州横須賀三熊野神社大祭) |
主な神事 | 神子抱き神事(子授け神事) |
地図 |
三熊野神社(みくまのじんじゃ)は、静岡県掛川市に鎮座する神社で「神紋=右三つ丁子巴」である。
概要
[編集]静岡県掛川市に鎮座し、近隣には横須賀城がある。文武天皇の命により大宝年間(7世紀初頭)に創建されたとされている。祭神は伊邪那美命、速玉男命、事解男命の3柱であり、熊野三山から勧請されたとされている。文武天皇により同時に創建された御前崎市の高松神社、掛川市の小笠神社とともに「遠州の熊野三山」とも称される。
祭事
[編集]遠州横須賀三熊野神社大祭
[編集]4月の第一金曜日から3日間にわたり、三熊野神社では例祭が行われる[1]。この例祭は「遠州横須賀三熊野神社大祭」と呼ばれており、神輿の行列や二輪屋台「祢里(ねり)」の引き廻しが行われ[1]、例年多くの観光客を集めている。
神子抱き神事(子授け神事)
[編集]「遠州横須賀三熊野神社大祭」2日目に、神子抱き神事(子授け神事)が行われる。この神事では、参拝者は「おねんねこさま」と呼ばれる神子人形を抱いて渡御行列に加わる[2]。遠方から子授け祈願に来る人も多く、大祭のもうひとつの名物となっている。
歴史
[編集]文武天皇により大宝年間(7世紀初頭)に創建されて以降、熊野信仰などを背景に住民からの信仰を集めた。
文武天皇の皇后(藤原宮子)が「安産にて皇子誕生せば、東に三つのお社を建てまつり、日夜敬い申し上げる」と熊野三山に誓願し、ぶじ安産(後の聖武天皇)となった神恩に感謝して、大宝元年(701年)に創建された。熊野三山のうち熊野本宮大社を勧請したもので、朝廷から神領として笠原の庄を与えられた。建武2年(1335年)元旦、新田義貞が戦勝祈願のために参拝し、楠木正成の鈴を奉納したと伝えられている。天正6年(1578年)に徳川家康が当地に横須賀城を築城すると、歴代城主・家臣や城下近郷から崇敬された[3]。
元禄年間(1690年前後)には既に祭礼が存在していたとされるが、当時は氏子らによる舞踊が主であった[4]。
その後、横須賀藩藩主の西尾忠尚が江戸幕府老中に就任し、江戸での公務の際に見聞した神田祭や山王祭を地元に伝えたことから、1720年前後、屋台の引き廻し等が祭礼に導入された[4]。また、西尾の家臣らは江戸で祭囃子を習得し、それが横須賀に齎され三社祭礼囃子として今に伝わったとされる[4]。
文化財
[編集]以下の文化財が静岡県および掛川市の有形文化財に指定されている[5]。
静岡県指定有形文化財(建造物)
- 本殿
静岡県指定有形文化財(絵画)
- 絵馬44点
掛川市指定有形文化財(彫刻)
- 天狗面
- 狛犬
また、三熊野神社に関連する民俗文化財として、「地固めの舞と田遊びの舞」および「三社祭礼囃子」が静岡県指定重要無形民俗文化財に指定されている[5]。
祭神
[編集]摂末社
[編集]境内には次の3社が鎮座する。
境内社