三田幸司
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三田 幸司(みた こうじ、1865年5月28日〈慶応元年5月4日[1][2]〉 - 1926年〈大正15年〉4月16日[1])は、日本の政治家。長野県長野市長。
経歴
[編集]武蔵国埼玉郡持田村(現埼玉県行田市)生まれ[1]。明治19年(1886年)判事登用試験に合格。静岡、沼津、横浜、東京の各区裁判所判事となり、同42年(1909年)以降、徳島、長野、千葉、旭川地方裁判所裁判長を歴任し、大正6年(1917年)大審院判事補となり、退官。明治43年(1910年)から5年間長野地裁に赴任していたこともあり、大正10年(1916年)長野市長に推挙された[3]。
在任中は日本赤十字社長野県支部、神社協会、国防婦人会、在郷軍人会など各種団体の役員にも推薦され、長野-須坂間に定期バスの運行を開始させ、市内に職業紹介所や貯金支局を開設するなどしたが、眼病のため倒れ、わずか8か月で辞任した[3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 行田市史編纂委員会 編『行田市史 下巻』行田市、1964年 。
- 『日本の歴代市長 第2巻』 歴代知事編纂会、1984年。
- 『長野県歴史人物大事典』郷土出版社、1989年。
- 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年。
外部リンク
[編集]- 歴代長野市長 - 長野市