三輪潤太郎
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三輪 潤太郎(みわ じゅんたろう、1865年(慶応元年5月[1]) - 1940年(昭和15年)1月9日[1])は、日本の政治家、衆議院議員(2期)。
経歴
[編集]新潟県出身[1]。京都同志社と東京商業学校で学ぶ[1]。与板町(現・長岡市)長、三島郡会議員、新潟県会議員、同常置委員となり[1]、与板銀行専務取締役、長岡銀行監査役、新潟積善組合監事、三島郡有志教育会長を務めた[1]。
1898年3月の第5回衆議院議員総選挙において新潟5区から進歩党公認で立候補して当選する[2]。1898年8月の第6回衆議院議員総選挙では憲政本党公認で立候補して当選した[3]。衆議院議員を2期務め、1902年の第7回衆議院議員総選挙は不出馬。
のち、日華学会の事業に従事、東京保善商業学校(現・保善高等学校)嘱託となった[1]。1940年に死去した。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。