上原喜八郎
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上原 喜八郎(うえはら きはちろう、1916年〈大正5年〉5月29日 - 2009年〈平成21年〉3月25日)は、日本の生化学者、薬学者(生物系薬学)。理学博士。大阪大学名誉教授、日本薬学会有功会員。
略歴
[編集]新潟県新潟市出身[1]。1934年(昭和9年)3月に新潟中学校を卒業、1938年(昭和13年)3月に第四高等学校を卒業[注 1]、1941年(昭和16年)12月に大阪帝国大学理学部化学科を卒業[2][注 2]。
1942年(昭和17年)に大阪帝国大学理学部化学教室助手に就任、赤堀四郎のもとで研究[3]、1943年(昭和18年)に大阪帝国大学理学部大学院に特別研究生として入学[3]、1947年(昭和22年)に大阪帝国大学理学部化学教室講師に就任[3]、1951年(昭和26年)に大阪大学理学部化学教室助教授に就任[2]、1952年(昭和27年)7月に大阪大学から理学博士号を取得、大阪大学医学部薬学科生化学教室助教授に就任、1955年(昭和30年)に大阪大学薬学部生化学教室助教授に就任、1958年(昭和33年)に大阪大学薬学部生物薬品化学講座主任教授に就任[2][4]、1977年(昭和52年)6月に大阪大学薬学部第12代学部長に就任[2][5][6][注 3]、1980年(昭和55年)に大阪大学を定年退官、大阪大学名誉教授の称号を受称[3]。
役職
[編集]- 1963年(昭和38年) - 日本生化学会近畿支部例会長[7]
- 1964年(昭和39年) - 日本薬学会評議員
- 1972年(昭和47年) - 日本ビタミン学会理事
- 1973年(昭和48年) - 日本生化学会近畿支部長[8]
- 1974年(昭和49年) - 日本薬学会近畿支部長
栄典・表彰
[編集]著作物
[編集]著書
[編集]論文
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b 『新潟日報』1989年4月29日付朝刊、11面。『新潟県年鑑 1990』平成2年版、154頁。
- ^ a b c d e 『ファルマシア』第45巻第11号、1151頁。『現代日本人名録90 上 あ〜く』567頁。『新潟県 人物・人材情報リスト 2000』101頁。
- ^ a b c d e 『ファルマシア』第45巻第11号、1151頁。
- ^ a b 『大阪大学五十年史 部局史』374頁。
- ^ a b 『大阪大学五十年史 部局史』368頁。
- ^ a b 歴代薬学研究科長・学部長 - 沿革 - 概要 - 大阪大学 大学院薬学研究科・薬学部
- ^ 支部例会 | 生化学の発展を担う日本生化学会近畿支部
- ^ 歴代支部長 | 生化学の発展を担う日本生化学会近畿支部
- ^ 学会賞受賞者一覧 │ 日本ビタミン学会
- ^ 「叙位・叙勲」『官報』号外第61号、25頁、大蔵省印刷局、1989年5月1日。
参考文献
[編集]- 「有功会員 上原喜八郎先生のご逝去を悼む・上原喜八郎先生を偲んで」『ファルマシア』第45巻第11号、1151頁、松木則夫・小林資正[著]、日本薬学会、2009年。
- 「上原喜八郎」『現代日本人名録90 上 あ〜く』567頁、日外アソシエーツ[編]、日外アソシエーツ、1990年。
- 「上原喜八郎」『新潟県 人物・人材情報リスト 2000』101頁、日外アソシエーツ[編]、日外アソシエーツ、2000年。
- 『新潟日報』1989年4月29日付朝刊、新潟日報社、1989年。
- 『新潟県年鑑 1990』平成2年版、新潟日報社[編]、新潟日報社、1989年。
- 『大阪大斈二十五年誌』大阪大学[編]、大阪大学、1956年。
- 『大阪大学五十年史 部局史』大阪大学五十年史編集実行委員会[編]、大阪大学、1983年。
関連文献
[編集]- 「ビタミンKの酵素化学的研究」『ビタミン』第11巻、431-438頁、上原喜八郎[著]、日本ビタミン学会、1956年。