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上国寺 (茅ヶ崎市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
上国寺
所在地 神奈川県茅ヶ崎市今宿488
位置 北緯35度20分0.8秒 東経139度22分51.7秒 / 北緯35.333556度 東経139.381028度 / 35.333556; 139.381028座標: 北緯35度20分0.8秒 東経139度22分51.7秒 / 北緯35.333556度 東経139.381028度 / 35.333556; 139.381028
山号 妙厳山[1]
院号 大乗院[1]
宗旨 日蓮宗
寺格 平僧寺跡
本尊 三宝尊[1]
創建年 応安年間(1368~1375年)
開山 浄行院日祐
開基 大乗院日経
中興 大乗院日門
正式名 妙厳山大乗院上國寺
文化財 日蓮聖人像
公式サイト 上国寺HP
法人番号 2021005001467 ウィキデータを編集
上国寺 (茅ヶ崎市)の位置(神奈川県内)
上国寺 (茅ヶ崎市)
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上国寺(じょうこくじ)は、神奈川県茅ヶ崎市今宿にある日蓮宗の寺院。山号は妙厳山、院号は大乗院。旧本山は大本山中山法華経寺[1]、旧寺格は平僧寺跡。寺法縁は親師法縁である可能性が高いが、歴代住職は池上芳師法類に所属している者が多い。

歴史

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大本山中山法華経寺院家の一・正中山浄光院の開基である大乗院日経が、応安年間(1368~1375年)に師の浄行院日祐大本山中山法華経寺3世・本山光勝寺開山)を開山に迎え創建した。寺伝によれば、その際に千葉宗家第九代・千葉宗胤の長男である千葉胤貞が助力したという。また、不受不施義を確立し厳格な布教姿勢を貫いた久遠成院日親本山本法寺開山)が一時期滞在したと伝えられている。[2]その後、第4世・大乗院日門が伽藍を拡大、以後「大乗院」が院号となった事から特に中興を冠せられている。第36世・慈誘院日相の代に発生した関東大震災で本堂・庫裡が倒壊したが、翌年には再建。昭和36年(1961年)には第40世・日照によって本堂の修復及び庫裡の新築が行われた。その後、第41世・慈宏院日栄によって庫裡の増築及び墓地・参道等の境内整備が施された。

境内

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本堂

RC造建築。

寺宝

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日蓮聖人

“三月日永正十一年 作之”の銘がある。寄木造・玉眼嵌入・前後矧ぎ・肩膝前は別木を用いる。およその寸法は像高32.0cm・袖張42.5cm・膝張26.0cm。市内最古の日蓮聖人像として平成8年(1996年)11月1日に茅ヶ崎市の重要文化財に指定された。

歴代住職

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歴代 法号
(俗姓・道号)
命日(享年[数え年])  経歴
開山 大輔阿闍梨
浄行院日祐
応安7年(1374年)5月19日(77歳) 大本山 正中山法華経寺千葉県市川市中山) 3世
本山 松尾山光勝寺佐賀県小城市松尾) 開山
2世 法宣院日英 応永30年(1423年)8月11日(83歳) 正中山法宣院(千葉県市川市中山) 3世
3世 久遠成院日親 長享2年(1488年)9月17日(82歳) 本山 叡昌山本法寺京都府京都市上京区) 開山
本山 松尾山光勝寺佐賀県小城市松尾) 15世
中興
4世
大乗院日門 永享8年(1436年)11月9日
5世 日有 長禄2年(1458年)11月13日 大本山 正中山法華経寺千葉県市川市中山) 7世か
6世 日修 天文8年(1539年)4月11日
7世 日善 文亀2年(1502年)3月6日
8世 日覚 大永元年(1521年)4月8日
9世 本行院日雄 明応7年(1498年)7月16日
10世 善立院日意 寛永19年(1642年) 妙厳山信隆寺神奈川県茅ヶ崎市今宿) 開山
11世 円融院日隆 慶長5年(1600年)1月15日
12世 大乗院日言 元和8年(1622年)10月7日
13世 大乗院日顕 寛文元年(1661年)7月3日
14世 大乗院日富 寛文11年(1671年) 妙厳山信隆寺神奈川県茅ヶ崎市今宿) 2世
15世 大乗院日従 享保11年(1726年)8月20日(82歳)
16世 大乗院日妙 寛延2年(1749年)3月2日
17世 永心院日要 寛政6年(1794年)8月6日
18世 自行院日題
19世 総持院日修
20世 竜江院日生
(竜江)
天明6年(1786年)5月29日 本山・中村檀林 正東山日本寺千葉県香取郡多古町) 89世能化
21世 情昇院日祐
22世 善聴院日勇 池尻山常光院(東京都世田谷区池尻)[3] 歴世
23世 円理院日寧 妙厳山信隆寺神奈川県茅ヶ崎市今宿) 歴世[4]
24世 通正院日凉
25世 妙立院日迷 文政11年(1828年)3月4日
26世 正寿院日理
27世 本寿院日真
28世 智善院日了 天保8年(1837年)6月28日
29世 唯心院日成 明治5年(1872年)8月27日(77歳) 東山檀林 妙慧山善正寺(京都府京都市左京区) 490世能化
藤光山法華寺山梨県甲府市武田) 22世
30世 常精院日光 大乗山妙昌寺神奈川県中郡大磯町) 歴世
31世 顕寿院日久
32世 慈明院日久 神光山長遠寺神奈川県横浜市神奈川区) 27世
33世 芳樹院日園 明治33年(1900年)4月9日
34世 本慈院日量 明治34年(1901年)7月15日
35世 音量院日光
(里見日光)
大正5年(1916年)3月29日
36世 慈誘院日相
(竹内眞榮)
37世 (竹内)
38世 佛心院日經
(鈴野是經)
昭和16年(1941年)6月30日(50歳) 寳光山本立寺(神奈川県藤沢市辻堂神台) 2世
了勝山妙安寺神奈川県中郡二宮町) 歴世
寳光一心教会(神奈川県平塚市立野町) 2世
心實結社神奈川県横浜市磯子区[5] 2世
39世 顯妙院日利
(鈴野顯妙)
昭和19年(1944年)7月18日(32歳) 寳光山本立寺(神奈川県藤沢市辻堂神台) 准歴
心實結社神奈川県横浜市磯子区) 加歴3世
40世 日照
(新倉海乗)
昭和42年(1967年)5月19日(68歳)
41世 慈宏院日栄[6]
(富川玄龍)
平成24年(2012年)11月11日(98歳) 権大僧正
42世 (吉塚誠滋) 大乗山清光寺(東京都品川区南品川) 5世
43世 (望月文敬)

交通アクセス

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脚注

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  1. ^ a b c d 新編相模国風土記稿 今宿村 上國寺.
  2. ^ 浄行院日祐千葉氏の一族の出とされ、千葉胤貞猶子にもなっている。
  3. ^ 現存せず。元・碑文谷法華寺の末寺。
  4. ^ 世代的に第11〜13世のいづれかと考えられる。
  5. ^ 現存せず。寳光山本立寺の旧横浜別院。
  6. ^ 昭和56年(1981年)当時は日英と称していた。

参考文献

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  • 『日蓮宗寺院名簿』/ 日宗新報社 /1914年
  • 「大庭庄 今宿村 上國寺」『大日本地誌大系』 第38巻新編相模国風土記稿3巻之61村里部高座郡巻之3、雄山閣、1932年8月。NDLJP:1179219/147 
  • 『宗祖第七百遠忌記念出版 日蓮宗寺院大鑑』/ 日蓮宗寺院大鑑編集委員会 / 大本山池上本門寺 / 昭和56年(1981年)
  • 『特別展 鎌倉の日蓮聖人 中世人の信仰世界』/ 神奈川県立歴史博物館 / 平成21年(2009年)
  • 「日蓮宗新聞」/ 日蓮宗新聞社 / 2016年6月4日付
  • 『正中山遠壽院加行門人帳』/常円寺日蓮仏教研究所/正中山遠壽院大荒行堂/令和3年(2021年)