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上島長久

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上島長久

上島 長久(うわじま ながひさ[1]1865年1月23日元治元年12月26日〉- 1918年大正7年〉5月18日[2][3])は、日本の衆議院議員憲政会)。ジャーナリスト。号は笠山。義兄に検事総長の春木義彰[4]

経歴

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大和国平群郡法隆寺村(現在の奈良県生駒郡斑鳩町)に中宮寺門跡家司で勤王家の上島掃部の子として生まれる。

1885年明治18年)、東京専門学校(現在の早稲田大学)を卒業。裁判所書記、釧路十勝共同汽船会社社員、函館商業学校嘱託教員を経て、『函館新聞』記者となった。1895年(明治28年)、報知新聞社に入り、主筆を務めた。

1917年(大正6年)、第13回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。

著書

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  • 『釈元恭』(1896年、春陽堂)
  • 鉄禅的快男児釈元恭』 - 鴻盟社1895年、春陽堂1896年の合本複製
  • 『紳士読本』(1903年、豊文堂)
  • 『財政刷新論(上・中・下)』(公民同盟出版部、1915年)
  • 『日支親善論』(公民同盟出版部、1915年)

脚注

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  1. ^ 『大日本人名辞書』p.2262
  2. ^ 漆崎多四郎『貴衆両院議員名鑑』、1919年、p.21。
  3. ^ 『官報』第1741号、大正7年5月24日。
  4. ^ 松枝保二 1922.

参考文献

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関連項目

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  • 哥老会 - 釈元恭が活動した組織。