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上平村 (埼玉県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
かみひらむら
上平村
廃止日 1955年1月1日
廃止理由 新設合併
上尾町・原市町平方町大石村大谷村上平村 → 上尾町
現在の自治体 上尾市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 埼玉県
北足立郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 7.56 km2.
総人口 3,815
(住民登録人口、1954年7月1日)
隣接自治体 北足立郡上尾町、桶川町、原市町、大石村
加納村、伊奈村
上平村役場
所在地 埼玉県北足立郡上平村
座標 北緯35度59分39秒 東経139度35分11秒 / 北緯35.99411度 東経139.58636度 / 35.99411; 139.58636 (上平村)座標: 北緯35度59分39秒 東経139度35分11秒 / 北緯35.99411度 東経139.58636度 / 35.99411; 139.58636 (上平村)
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上平村(かみひらむら)は、埼玉県北足立郡にあった。現在の上尾市北東部にあたる。

上平の名は、1889年の村成立の際に合併した上村および平塚村の名を合成したことによる[1]

地理

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隣接していた自治体

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(括弧内は現在の自治体)

歴史

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上平村初代村長の須田守三
  • 新編武蔵風土記稿』によると[2]平塚村を除く村々は桶川宿、大谷領町谷村(いずれも現桶川市)とともに大谷領桶川(桶皮)郷に属したとされる。上村は桶川郷あるいは桶川宿の上、南村は桶川郷あるいは桶川宿の南を意味するとされ、桶川上村、桶川南村とも呼ばれていた[3][4]
  • 明治元年の知行は、上村、久保村、須ヶ谷村は代官支配、門前村は代官領、松下某、少林寺領、南村は横田権之助(筑後守、信濃・武蔵などを領する9.500石の旗本筆頭)、菅谷村は松下謙太郎、横田権之助、数原鍬之助、上平塚村、中平塚村は荒川五三郎、下平塚村は戸田中務である。
  • 1869年明治2年)
    • 1月 - 村域は廃藩置県により、大宮県に所属。
    • 9月 - 大宮県が浦和県に改称。
  • 1871年(明治4年)11月14日 - 浦和県が忍県岩槻県と合併し、埼玉県が誕生。
  • 1872年(明治5年)3月 - 大区小区制施行により第18区(上村・須ヶ谷村)および第19区に属す[5][6]
  • 1889年(明治22年)
    • 4月1日 - 町村制施行に伴い、上村・久保村・菅谷村・須ヶ谷村・西門前村・平塚村・南村が合併し、上平村となる[1]
    • 5月26日 - 大字西門前の少林寺に村役場の仮議場を設置[7]、翌日地内の大川久次郎宅に役場を開設し、1892年(明治25年)頃まで借用する。
  • 1893年(明治26年) - 村役場を西門前579番地の場所(現在のJAさいたま 上平支店の場所)に新築移転する[7]
  • 1934年昭和9年)5月24日 - 村治問題に端を発し、村内の役場にて村民ら260余人による暴動事件が発生、標的となった助役(全治四週間の重傷)のほか村民3名や鴻巣警察署の巡査が負傷する。また村役場が一部損壊する(上平村事件)[8]
  • 1943年(昭和18年)
    • 1月 - 桶川町・上平村・加納村川田谷村との合併の覚書が交わされた[9]
    • 2月8日 - 桶川町・上平村との合併に関する答申書を大津県知事に提出した[9]
  • 1948年(昭和23年)
    • 2月5日 - 大宮地区警察署(自治体警察)原市巡査部長派出所の監督区域に指定される[10]
    • 6月21日 - 上平農業協同組合が西門前579-2の場所に設立される[11]
  • 1951年(昭和26年) - 大字上尾村の一部を上平村に編入する[12]
  • 1955年(昭和30年)1月1日 - 町村合併促進法の施行に伴い、上尾町・原市町平方町大石村大谷村と合併し、改めて上尾町となる[13]。同日上平村廃止。大字は上尾町へ継承された[1]。村役場は上平支所(後の農協上平支所)となる。
  • 1956年(昭和31年)2月17日 - 上平地区(旧上平村)の桶川町へ編入の是非を問う埼玉県初[注釈 1]の住民投票を実施。結果は桶川町への編入は否決となった[14]

歴代村長

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氏名 就任年月日 退任年月日 備考
初代村長 須田守三 1889年(明治22年)5月17日 1893年(明治26年)5月15日
二代村長 須田守三 1893年(明治26年)5月20日 退任日不明
三代村長 須田秀実 1896年(明治29年)7月6日 1898年(明治31年)1月17日
四代村長 内田周吉 1898年(明治31年)12月11日 1899年(明治32年)12月11日
五代村長 斉藤重吉 1900年(明治33年)1月18日 1902年(明治35年)1月10日
六代村長 須田守三 1902年(明治35年)4月28日 1903年(明治36年)10月17日
七代村長 市村銀三 1903年(明治36年)11月11日 1904年(明治37年)1月4日
八代村長 須田泰治郎 1904年(明治37年)2月15日 1904年(明治37年)10月21日
九代村長 内田周吉 1905年(明治38年)1月17日 1905年(明治38年)4月24日
十代村長 須田寛三 1907年(明治40年)9月10日 1909年(明治42年)2月18日
十一代村長 須田久治郎 1909年(明治42年)3月20日 1913年(大正2年)3月19日 次代と就任期間が重複する
十二代村長 須田久治郎 1913年(大正2年)3月14日 1917年(大正6年)3月19日 先代と就任期間が重複する
十三代村長 須田泰治郎 1917年(大正6年)3月20日 1921年(大正10年)3月19日
十四代村長 鴨田金蔵 1921年(大正10年)3月30日 1922年(大正11年)12月4日
十五代村長 森島唯造 1923年(大正12年)1月19日 1931年(昭和6年)1月11日
十六代村長 平野耕造 1933年(昭和8年)6月1日 1933年(昭和8年)9月22日
十七代村長 須田卓二 1936年(昭和11年)7月25日 1940年(昭和15年)7月24日
十八代村長 平野耕造 1940年(昭和15年)7月28日 1942年(昭和17年)2月28日
十九代村長 須田卓二 1942年(昭和17年)12月8日 1943年(昭和18年)3月3日
二十代村長 市村増蔵 1944年(昭和19年)1月14日 1946年(昭和21年)3月12日
二十一代村長 須田令一 1946年(昭和21年)4月6日 1947年(昭和22年)4月5日
二十二代村長 島村敏治 1947年(昭和22年)4月5日 地方自治法施行後初の村長。退任日不明
二十三代村長 島村敏治 1954年(昭和29年)12月31日 就任日不明

※ 以上出典は『上尾百年史』174-176頁および187頁。

脚注

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注釈

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  1. ^ 町村合併促進法の規定に基づく埼玉県初の事例と思われる。

脚注

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参考文献

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  • 上尾市教育委員会・編『上尾市史 第五巻 資料編5、近代・現代2』上尾市、1998年3月31日。 
  • 上尾市教育委員会・編『上尾市史 第八巻 別編1、地誌』上尾市、1997年3月31日。 
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104 
  • 上尾百年史編集委員会・編『上尾百年史』上尾市役所、1972年2月10日。 
  • 新編武蔵風土記稿
    • 『新編武蔵風土記稿』 巻ノ135足立郡ノ1、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763997 
    • 「上平塚村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ146足立郡ノ12、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763999/35 
    • 「上村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ147足立郡ノ13、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763999/53 
    • 「南村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ147足立郡ノ13、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763999/55 

関連項目

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