上平村 (埼玉県)
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かみひらむら 上平村 | |
---|---|
廃止日 | 1955年1月1日 |
廃止理由 |
新設合併 上尾町・原市町・平方町・大石村・大谷村・上平村 → 上尾町 |
現在の自治体 | 上尾市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 埼玉県 |
郡 | 北足立郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 7.56 km2. |
総人口 |
3,815人 (住民登録人口、1954年7月1日) |
隣接自治体 |
北足立郡上尾町、桶川町、原市町、大石村 加納村、伊奈村 |
上平村役場 | |
所在地 | 埼玉県北足立郡上平村 |
座標 | 北緯35度59分39秒 東経139度35分11秒 / 北緯35.99411度 東経139.58636度座標: 北緯35度59分39秒 東経139度35分11秒 / 北緯35.99411度 東経139.58636度 |
ウィキプロジェクト |
上平村(かみひらむら)は、埼玉県北足立郡にあった村。現在の上尾市北東部にあたる。
上平の名は、1889年の村成立の際に合併した上村および平塚村の名を合成したことによる[1]。
地理
[編集]隣接していた自治体
[編集](括弧内は現在の自治体)
歴史
[編集]- 『新編武蔵風土記稿』によると[2]平塚村を除く村々は桶川宿、大谷領町谷村(いずれも現桶川市)とともに大谷領桶川(桶皮)郷に属したとされる。上村は桶川郷あるいは桶川宿の上、南村は桶川郷あるいは桶川宿の南を意味するとされ、桶川上村、桶川南村とも呼ばれていた[3][4]。
- 明治元年の知行は、上村、久保村、須ヶ谷村は代官支配、門前村は代官領、松下某、少林寺領、南村は横田権之助(筑後守、信濃・武蔵などを領する9.500石の旗本筆頭)、菅谷村は松下謙太郎、横田権之助、数原鍬之助、上平塚村、中平塚村は荒川五三郎、下平塚村は戸田中務である。
- 1869年(明治2年)
- 1月 - 村域は廃藩置県により、大宮県に所属。
- 9月 - 大宮県が浦和県に改称。
- 1871年(明治4年)11月14日 - 浦和県が忍県・岩槻県と合併し、埼玉県が誕生。
- 1872年(明治5年)3月 - 大区小区制施行により第18区(上村・須ヶ谷村)および第19区に属す[5][6]。
- 1889年(明治22年)
- 1893年(明治26年) - 村役場を西門前579番地の場所(現在のJAさいたま 上平支店の場所)に新築移転する[7]。
- 1934年(昭和9年)5月24日 - 村治問題に端を発し、村内の役場にて村民ら260余人による暴動事件が発生、標的となった助役(全治四週間の重傷)のほか村民3名や鴻巣警察署の巡査が負傷する。また村役場が一部損壊する(上平村事件)[8]。
- 1943年(昭和18年)
- 1948年(昭和23年)
- 1951年(昭和26年) - 大字上尾村の一部を上平村に編入する[12]。
- 1955年(昭和30年)1月1日 - 町村合併促進法の施行に伴い、上尾町・原市町・平方町・大石村・大谷村と合併し、改めて上尾町となる[13]。同日上平村廃止。大字は上尾町へ継承された[1]。村役場は上平支所(後の農協上平支所)となる。
- 1956年(昭和31年)2月17日 - 上平地区(旧上平村)の桶川町へ編入の是非を問う埼玉県初[注釈 1]の住民投票を実施。結果は桶川町への編入は否決となった[14]。
歴代村長
[編集]代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
初代村長 | 須田守三 | 1889年(明治22年)5月17日 | 1893年(明治26年)5月15日 | |
二代村長 | 須田守三 | 1893年(明治26年)5月20日 | 退任日不明 | |
三代村長 | 須田秀実 | 1896年(明治29年)7月6日 | 1898年(明治31年)1月17日 | |
四代村長 | 内田周吉 | 1898年(明治31年)12月11日 | 1899年(明治32年)12月11日 | |
五代村長 | 斉藤重吉 | 1900年(明治33年)1月18日 | 1902年(明治35年)1月10日 | |
六代村長 | 須田守三 | 1902年(明治35年)4月28日 | 1903年(明治36年)10月17日 | |
七代村長 | 市村銀三 | 1903年(明治36年)11月11日 | 1904年(明治37年)1月4日 | |
八代村長 | 須田泰治郎 | 1904年(明治37年)2月15日 | 1904年(明治37年)10月21日 | |
九代村長 | 内田周吉 | 1905年(明治38年)1月17日 | 1905年(明治38年)4月24日 | |
十代村長 | 須田寛三 | 1907年(明治40年)9月10日 | 1909年(明治42年)2月18日 | |
十一代村長 | 須田久治郎 | 1909年(明治42年)3月20日 | 1913年(大正2年)3月19日 | 次代と就任期間が重複する |
十二代村長 | 須田久治郎 | 1913年(大正2年)3月14日 | 1917年(大正6年)3月19日 | 先代と就任期間が重複する |
十三代村長 | 須田泰治郎 | 1917年(大正6年)3月20日 | 1921年(大正10年)3月19日 | |
十四代村長 | 鴨田金蔵 | 1921年(大正10年)3月30日 | 1922年(大正11年)12月4日 | |
十五代村長 | 森島唯造 | 1923年(大正12年)1月19日 | 1931年(昭和6年)1月11日 | |
十六代村長 | 平野耕造 | 1933年(昭和8年)6月1日 | 1933年(昭和8年)9月22日 | |
十七代村長 | 須田卓二 | 1936年(昭和11年)7月25日 | 1940年(昭和15年)7月24日 | |
十八代村長 | 平野耕造 | 1940年(昭和15年)7月28日 | 1942年(昭和17年)2月28日 | |
十九代村長 | 須田卓二 | 1942年(昭和17年)12月8日 | 1943年(昭和18年)3月3日 | |
二十代村長 | 市村増蔵 | 1944年(昭和19年)1月14日 | 1946年(昭和21年)3月12日 | |
二十一代村長 | 須田令一 | 1946年(昭和21年)4月6日 | 1947年(昭和22年)4月5日 | |
二十二代村長 | 島村敏治 | 1947年(昭和22年)4月5日 | 地方自治法施行後初の村長。退任日不明 | |
二十三代村長 | 島村敏治 | 1954年(昭和29年)12月31日 | 就任日不明 |
※ 以上出典は『上尾百年史』174-176頁および187頁。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 町村合併促進法の規定に基づく埼玉県初の事例と思われる。
脚注
[編集]- ^ a b c 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』, p. 271.
- ^ 新編武蔵風土記稿 足立郡.
- ^ 新編武蔵風土記稿 上村.
- ^ 新編武蔵風土記稿 南村.
- ^ 『上尾百年史』, pp. 26–30.
- ^ 『上尾市史 第八巻 別編1、地誌』117-123頁。
- ^ a b 『上尾百年史』, pp. 212–219.
- ^ 上尾市史 第五巻 資料編5、近代・現代2 28-32頁。
- ^ a b 『上尾市史 第五巻 資料編5、近代・現代2』 89-90頁。
- ^ 『上尾市史 第五巻 資料編5、近代・現代2』 198-203頁。
- ^ 上尾市史 第五巻 資料編5、近代・現代2 464-466頁。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』, p. 69.
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』, p. 1421.
- ^ 『上尾市史 第八巻 別編1、地誌』 122頁。
参考文献
[編集]- 上尾市教育委員会・編『上尾市史 第五巻 資料編5、近代・現代2』上尾市、1998年3月31日。
- 上尾市教育委員会・編『上尾市史 第八巻 別編1、地誌』上尾市、1997年3月31日。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104。
- 上尾百年史編集委員会・編『上尾百年史』上尾市役所、1972年2月10日。
- 新編武蔵風土記稿