上行寺東遺跡
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上行寺東遺跡(推定・浄願寺) | |
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所在地 | 神奈川県横浜市金沢区六浦2-12 |
位置 | 北緯35度19分42.2秒 東経139度37分09.3秒 / 北緯35.328389度 東経139.619250度座標: 北緯35度19分42.2秒 東経139度37分09.3秒 / 北緯35.328389度 東経139.619250度 |
創建年 | 推定文治年間(1185-1190年) |
上行寺東遺跡(じょうぎょうじひがしいせき)、あるいは上行寺東やぐら群遺跡(じょうぎょうじひがしやぐらぐんいせき)は、神奈川県横浜市金沢区六浦にある中世の遺跡。現在、金沢区洲崎町にある龍華寺の前身で、源頼朝が文治年間(1185 - 1190年)に六浦山中に創建した浄願寺の跡であるという説がある[1][2]。
情報
[編集]1984年(昭和59年)にマンション建設の事前調査において発見された。
当該地はかつて鎌倉の外港的役目を果たしていた六浦湊を望む凝灰石の岩山にあり、やぐらと呼ばれる中世期独特の横穴式墳墓群44基と、頂上部には阿弥陀如来とみられる石窟仏を納めたやぐらと、岩山を削り柱穴をあけて建てた寺院跡とみられる遺構が発見された。ほかにも火葬人骨や板碑・五輪塔・宝篋印塔・陶磁器などおびただしい数の出土品が見つかった[3]。
しかし、遺跡について書かれた文献が存在しないことなどを理由として、歴史学者や市民団体の反対に関わらず建設工事が強行され、遺跡は破壊されてマンションが建設された。この際、文化財保護条例が存在しないことを理由に積極的に動かなかった横浜市の対応にも批判が集まった(ただし工事前の記録保存(発掘調査)や、全国で初めて[4]遺構の実寸大型取り復元を行うなど、一定の遺跡保護の取組み[5]を行っている)。
現在は遺跡上段部の一部がガラス繊維補強セメント(GRC)製のレプリカとして隣接地に復元され(やぐらは現物)公開されている[6][7]。
注釈
[編集]- ^ 千々和到 1985, pp. 31–34.
- ^ 細川涼一 1985, p. 20.
- ^ 上行寺東やぐら群遺跡発掘調査団 2002.
- ^ 現地解説文より
- ^ “埋蔵文化財 | 文化庁”. www.bunka.go.jp. 2019年4月1日閲覧。
- ^ 横浜金沢観光協会.
- ^ “横浜金沢ガイドMAP”. 一般社団法人横浜金沢観光協会. 2022年12月16日閲覧。
参考文献
[編集]- 千々和到「六浦のやぐらと幻の寺」『月刊百科』第275巻、平凡社、1985年9月、31-34頁。
- 細川涼一「六浦上行寺東やぐら群遺跡--中世寺院研究史上の重要遺跡」『東洋学術研究』第24巻第2号、東洋哲学研究所、1985年11月、17-31頁。
- 千々和到「上行寺東遺跡」『日本史大事典3』平凡社、1993年。ISBN 978-4-582-13103-1。
- 千々和到「上行寺東やぐら群遺跡」『日本歴史大事典2』小学館、2000年。ISBN 978-4-095-23002-3。
- 小林義典『上行寺東やぐら群遺跡発掘調査報告書』上行寺東やぐら群遺跡発掘調査団、2002年3月29日。
- “上行寺東遺跡”. 歴史・文化施設. 横浜金沢観光協会. 2018年12月15日閲覧。