上都賀総合病院
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上都賀総合病院 | |
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情報 | |
正式名称 | 上都賀厚生農業協同組合連合会 上都賀総合病院 |
英語名称 | Kamitsuga General Hospital |
前身 | 有限責任購買利用組合 上都賀病院 |
標榜診療科 | 内科、内分泌代謝内科、神経内科、呼吸器内科、消化器内科、循環器内科、リウマチ膠原病内科、精神科、心療内科、小児科、外科、整形外科、形成外科、脳神経外科、呼吸器外科、皮膚科、泌尿器科、産婦人科、眼科、耳鼻咽喉科、病理診断科、リハビリテーション科、放射線科、麻酔科、救急科、歯科口腔外科 |
許可病床数 |
352床 一般病床:302床 精神病床:50床 |
開設者 |
上都賀厚生農業協同組合連合会 (JAかみつが厚生連) |
管理者 | 安藤克彦 院長(2021年4月- 現在)[1] |
開設年月日 | 1935年(昭和10年)7月 |
所在地 |
〒322-8550 栃木県鹿沼市下田町1丁目1033 |
二次医療圏 | 県西 |
PJ 医療機関 |
上都賀総合病院(かみつがそうごうびょういん、Kamitsuga General Hospital)は、栃木県鹿沼市にある医療機関。上都賀厚生農業協同組合連合会(JAかみつが厚生連)が運営する病院である。栃木県災害拠点病院(DMAT)、地域がん診療連携拠点病院。
沿革
[編集]出典[2]
- 1935年(昭和10年)
- 7月 - 有限責任購買利用組合 上都賀病院開設、病床40、診療科は内科、小児科、外科、産婦人科、耳鼻咽喉科。
- 10月 - 結核病棟50床増設(全90床)
- 1936年(昭和11年)8月 - 南摩村出張診療所開設、診療科は内科と外科(昭和37年閉鎖)
- 1937年(昭和12年)5月 - 板荷村出張診療所開設、診療科は内科と外科(昭和41年閉鎖)
- 1943年(昭和18年)11月 - 西方村出張診療所開設、診療科は内科と外科(昭和30年閉鎖)
- 1949年(昭和24年)8月 - 東大芦出張診療所開設、診療科は内科と外科(昭和41年閉鎖)
- 1950年(昭和25年)
- 8月 - 西方村に西方分院開設(後に西方病院として独立)[3]
- 10月 - 小来川診療所開設、診療科は内科と外科(昭和45年閉鎖)
- 1952年(昭和27年)
- 8月 - 上日向診療所開設、診療科は内科と外科(昭和37年閉鎖)
- 9月 - 病棟増築し50床増床(全病床数:140床)
- 1957年(昭和32年)7月 - 病棟増築し95床増床(全病床数:235床)
- 1961年(昭和36年)3月 - 病床85床増床(全病床数:320床)
- 1965年(昭和40年)7月 - 総合病院承認
- 1968年(昭和43年)12月 - 第2病棟竣工、65床増床(全病床数:385床)
- 1975年(昭和50年)3月 - 上都賀総合病院に名称変更
- 1990年(平成2年)10月 - 人工透析センター竣工
- 1993年(平成5年) - MRI棟竣工
- 2010年(平成22年)3月 - 栃木県DMAT指定病院に指定、がん診療連携拠点病院に指定
- 2014年(平成26年)2月 - 栃木県認知症疾患医療センターの指定
- 2016年(平成28年)3月 - ヘリコプター離着陸施設完成
ほか
医療機関の指定等
[編集]- 保険医療機関
- 国民健康保険療養取扱機関
- 労災保険指定病院
- 母体保護法指定病院
- 生活保護法指定病院
- 養育医療指定病院
- 精神保健福祉法指定病院
- 結核予防法指定病院
- 原子爆弾被爆者一般疾病医療取扱病院
- 身体障害運動療法指定病院
- 指定自立支援医療機関
その他の施設認定
[編集]- 日本医療機能評価機構(3rdG:Ver.1.1)認定病院
- 千葉大学医学部附属病院臨床研修施設認定
- 筑波大学附属病院臨床研修施設認定
- 獨協医科大学病院医療連携協力施設
- 自治医科大学附属病院医療連携協力施設
- かぬま子育て応援企業認定
関連施設
[編集]関連項目
[編集]交通アクセス
[編集]出典[4]
脚注
[編集]- ^ “病院長挨拶”. 上都賀総合病院 (2021年4月1日). 2021年4月1日閲覧。
- ^ 病院の沿革上都賀郡総合病院
- ^ ごあいさつ医療法人社団 厚生会西方病院
- ^ 病院公式サイト 交通のご案内上都賀総合病院
- ^ リーバス路線図・市街地鹿沼市