芳賀赤十字病院
表示
芳賀赤十字病院 | |
---|---|
情報 | |
正式名称 | 日本赤十字社 芳賀赤十字病院 |
英語名称 | Haga Red Cross Hospital |
前身 |
日本医療団芳賀病院 株式会社芳賀病院 日本赤十字社栃木支部芳賀赤十字病院 |
標榜診療科 |
内科 呼吸器内科 循環器内科 消化器内科 血液内科 神経内科 外科 心臓血管外科 消化器外科 乳腺科 小児外科 整形外科 脳神経外科 形成外科 アレルギー科 リウマチ科 小児科 皮膚科 泌尿器科 産婦人科 眼科 耳鼻咽喉科 リハビリテーション科 放射線科 救急科 麻酔科 精神科 歯科 歯科口腔外科 |
許可病床数 |
364床 一般病床:360床 感染症病床:4床 |
機能評価 | 一般病院2,リハビリテーション病院(副機能) 3rdG:Ver.2.0 |
開設者 | 日本赤十字社栃木県支部長 福田富一(栃木県知事) |
管理者 | 安田 是和(院長) |
開設年月日 | 1922年(大正11年)4月 |
所在地 |
〒321-4308 栃木県真岡市中郷271 |
位置 | 北緯36度26分14.3秒 東経140度0分26.3秒 / 北緯36.437306度 東経140.007306度 |
二次医療圏 | 県東 |
PJ 医療機関 |
芳賀赤十字病院(はがせきじゅうじびょういん)は、栃木県真岡市にある医療機関である。日本赤十字社栃木県支部設置の病院である。新生児特定集中治療室(NICU) 6床、新生児治療回復室(GCU)6床を備える。
沿革
[編集]- 1922年(大正11年)4月 株式会社芳賀病院として創立。(内科、外科、産婦人科)
- 1944年(昭和19年)12月 日本医療団へ移管し日本医療団芳賀病院に改称。
- 1945年(昭和20年)7月 戦災で病院が全焼。
- 1947年(昭和22年)5月 本館を竣工。
- 1949年(昭和24年)7月 日本医療団の解散に伴い、日本赤十字社が買収。日本赤十字社 栃木支部 芳賀赤十字病院として発足。
- 1964年(昭和39年)8月 1次救急告示病院に指定。
- 1971年(昭和46年)9月23日 総合病院として承認。
- 1978年(昭和53年)8月 病院群輪番制救急病院に指定(2次救急)。
- 1981年(昭和56年)4月 へき地中核病院に指定。
- 1995年(平成7年)3月 エイズ治療拠点病院に指定。
- 1996年(平成8年)11月29日 災害拠点病院に指定。
- 1999年(平成11年)12月 指定居宅介護支援事業者に指定。
- 2003年(平成15年)12月 栃木県脳卒中地域拠点医療機関に指定。
- 2004年(平成16年)3月 臨床研修指定病院に指定。
- 2004年(平成16年)4月 小児救急拠点病院事業開始。
- 2009年(平成21年)11月1日 栃木県DMAT指定病院に指定。
- 2010年(平成22年)4月1日 DPC対象病院として承認。
- 2010年(平成22年)10月1日 NICU、GCU各6床稼働開始。
- 2015年(平成27年)7月 芳賀赤十字病院と改称。
- 2018年(平成30年)12月 新病院竣工[1]。
- 2019年(平成31年)3月1日 新病院へ移転(真岡市台町2461→真岡市中郷271)[1]。許可病床数を364床に減床する。
診療科
[編集]- 診療協働部門
- 看護部
- 薬剤部
- 検査部
- 社会課
- 栄養課
医療機関の指定等
[編集]- へき地医療拠点病院
- エイズ治療拠点病院
- 脳卒中地域拠点医療機関
- 災害拠点病院
- 救急告示病院
- 肝疾患専門医療機関
- 地域周産期母子医療センター
- 栃木DMAT指定医療機関
- DPC対象病院
- 臨床研修指定病院
- 栃木県脳卒中地域拠点医療機関
- 公益財団法人日本医療機能評価機構認定病院[2]
交通アクセス
[編集](出典:[3])
車
[編集]鉄道
[編集]関連項目
[編集]- 臨床実習病院指定
- 報徳看護専門学校(平成19年4月~)
- 茨城県立岩瀬高等学校(平成21年6月~)
- 日本赤十字社の施設一覧
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b 新病院について|芳賀赤十字病院 - ウェイバックマシン(2019年3月28日アーカイブ分)
- ^ “病院機能評価結果の情報提供”. 公益財団法人日本医療機能評価機構. 2022年5月14日閲覧。
- ^ [1] 2019年3月28日閲覧