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長岡赤十字病院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
長岡赤十字病院
地図
情報
英語名称 Nagaoka Red Cross Hospital
前身 長岡會社病院
財団法人長岡病院
日本赤十字社新潟支部病院(新潟支部長岡病院)
舞鶴海軍病院・長岡赤十字病院
許可病床数 588床
一般病床数= 582
感染症病床数= 6
機能評価 一般病院2 3rdG:Ver.1.1
開設者 日本赤十字社 社長[1]
開設年月日 1931年5月1日
所在地
940-2085
新潟県長岡市千秋2-297-1
位置 北緯37度27分36.2秒 東経138度49分45秒 / 北緯37.460056度 東経138.82917度 / 37.460056; 138.82917 (長岡赤十字病院)座標: 北緯37度27分36.2秒 東経138度49分45秒 / 北緯37.460056度 東経138.82917度 / 37.460056; 138.82917 (長岡赤十字病院)
二次医療圏 中越医療圏(長岡市・柏崎市刈羽村出雲崎町
PJ 医療機関
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長岡赤十字病院(ながおかせきじゅうじびょういん)は、新潟県長岡市に所在する病院である。通称「日赤病院」(にっせきびょういん)。

新潟県中越地方の中核的な病院のひとつであり、新潟県中越地震新潟県中越沖地震では日本赤十字社救護班の活動拠点となった。

重症病床として集中治療室(ICU)・新生児集中治療室(NICU)・産科集中治療室(PICU)を備える。

沿革

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  • 1931年昭和6年)5月 - 財団法人長岡病院から日本赤十字社新潟支部病院に移管(新潟支部長岡病院)。
  • 1934年(昭和9年)10月 - 長岡市神明町(現:日赤町・ウオロク長岡店)に新築移転。
  • 1943年(昭和18年)1月 - 長岡赤十字病院と改称[2]
  • 1945年(昭和20年)5月 - 海軍病院の指定により舞鶴海軍病院・長岡赤十字病院と改称。8月31日の指定解除までに延べ39,381人の傷病将兵を収療[3]
  • 1945年(昭和20年)8月 - 長岡空襲により本館の外郭を残し全焼。
  • 1969年(昭和44年)7月 - 2号館増築。
  • 1982年(昭和57年)11月 - 3号館増築。
  • 1997年平成9年)9月 - 現在地に新築移転(山下設計)。
  • 2007年(平成19年)3月 - ヘリポート設置。
  • 2011年(平成23年)11月 - 地域医療支援病院認定。
  • 2017年(平成29年)3月 - ドクターヘリ運航開始。
  • 2020年(令和2年)4月 - 緩和ケア病棟設置。

診療科目

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医療機関の指定等

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ギャラリー

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交通アクセス

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周辺

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当院は昭和末期から開発が進められた信濃川左岸の旧河川敷に位置しており、隣接してショッピングモール「リバーサイド千秋」が立地するほか、長岡リリックホール新潟県立近代美術館ハイブ長岡などの文化施設を内包する「千秋が原ふるさとの森」が近隣に位置する。

モニュメント

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右下の白い塔がモニュメント

正面ロータリーには白い塔のモニュメントが置かれているが、これはグラフィックデザイナーの亀倉雄策によって制作された[5]

亀倉は長岡赤十字病院が竣工する直前、1997年5月に逝去。

このモニュメントは亀倉の遺作となった[5]

市街地を向いて設置

ヘリポートのある信濃川沿いの歩道脇には、長岡赤十字病院の設立に尽力した当地の侍[6]、三島億次郎の銅像が設置されている[7]。(製作者は彫刻家の元井達夫)

脚注

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関連項目

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外部リンク

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