益田赤十字病院
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益田赤十字病院 | |
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情報 | |
英語名称 | Masuda Red Cross Hospital |
前身 |
石西購買利用組合共存病院益田分院 益田共存病院 美濃共存病院 |
標榜診療科 |
内科 小児科 呼吸器内科 消化器内科 血液内科 内分泌・代謝内科 脳神経内科 循環器科 外科 整形外科 脳神経外科 皮膚科 泌尿器科 産婦人科 耳鼻咽喉科 眼科 放射線科 麻酔科 歯科口腔外科 病理診断科 |
許可病床数 |
284床[1] 一般病床:276床 感染症病床:4床 結核病床:4床 |
職員数 | 568名(2019年4月1日現在)[2] |
開設者 | 日本赤十字社島根県支部 |
管理者 | 益田赤十字病院 病院長 |
開設年月日 | 1971年3月26日[3] |
所在地 |
〒698-8501 島根県益田市乙吉町イ103番地の1 |
位置 | 北緯34度41分02.4秒 東経131度50分28.9秒 / 北緯34.684000度 東経131.841361度座標: 北緯34度41分02.4秒 東経131度50分28.9秒 / 北緯34.684000度 東経131.841361度 |
PJ 医療機関 |
益田赤十字病院(ますだせきじゅうじびょういん)は、島根県益田市に所在する病院。日本赤十字社が運営する。
沿革
[編集]特記ない場合、出典は[4]による。
- 1919年(大正8年)- 鹿足郡青原村産業組合長の大庭政世により、同村に日本初の農業組合による青原組合医院が開院[5]。
- 1931年(昭和6年)- 青原組合医院を拡張する形[6]で、旧日原村に石西購買利用組合共存病院が開院[5][7]。
- 1933年(昭和8年)- 石西購買利用組合共存病院の益田分院が開院[6]。
- 1936年(昭和11年)- 益田分院が益田共存病院となる。
- 1940年(昭和15年)- 益田共存病院から美濃共存病院となる。
- 1957年(昭和32年)- 美濃共存病院から日本赤十字社に移管され、益田赤十字病院が開院。益田市赤城町に新病院竣工。
- 1971年(昭和46年)- 益田市乙吉町(現在地)へ新築移転。
- 2015年(平成27年)- 新病院竣工。
診療科
[編集]20診療科[1]
- 内科
- 小児科
- 呼吸器内科
- 消化器内科
- 血液内科
- 内分泌・代謝内科
- 脳神経内科
- 循環器科
- 外科
- 整形外科
- 脳神経外科
- 皮膚科
- 泌尿器科
- 産婦人科
- 耳鼻咽喉科
- 眼科
- 放射線科
- 麻酔科
- 歯科口腔外科
- 病理診断科
機関指定など
[編集]保険医療機関 | 救急告示病院 |
災害拠点病院 | 地域医療支援病院 |
地域医療拠点病院 | 労災保険法指定病院 |
結核指定医療機関 | エイズ拠点病院 |
生活保護法指定医療機関 | 第二種感染症指定医療機関 |
地域がん診療連携推進病院 | 地域周産期母子医療センター |
母体保護法指定医療機関 | 臨床研修指定病院 |
指定自立支援医療機関 | 指定小児慢性特定疾病医療機関 |
身体障害者福祉法指定医療機関 | 指定養育医療機関 |
被爆者一般疾病医療機関 | 肝炎治療指定医療機関 |
島根県DMAT指定病院 |
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 島根県 医師募集・医師求人 益田赤十字病院
- ^ 島根県看護職情報ネット
- ^ 島根県健康福祉部医療政策課 県内病院一覧
- ^ “概要・沿革”. 益田赤十字病院. 2024年4月7日閲覧。
- ^ a b “当院の取り組み”. 医療法人橘井堂 津和野共存病院. 2024年4月7日閲覧。
- ^ a b 三輪茂之「日本最初の産業組合医療の発祥地「島根県津和野町の地域医療の過去・現在・未来」石西厚生連破綻を乗り越えて」『日本農村医学会雑誌』第71巻第6号、日本農村医学会、2023年、462-464頁、doi:10.2185/jjrm.71.462。
- ^ 中村一成「近代日本の農山村における病院医療供給と地域社会-名望家から産業組合へ-」『歴史と経済』第59巻第2号、政治経済学・経済史学会、2017年、1-17頁、doi:10.20633/rekishitokeizai.59.2_1。