中ノ郷村
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なかのごうそん 中ノ郷村 | |
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廃止日 | 1933年4月1日 |
廃止理由 |
編入合併 中ノ郷村 → 鳥取市 |
現在の自治体 | 鳥取市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陰地方) |
都道府県 | 鳥取県 |
郡 | 岩美郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 5.29 km2 |
総人口 |
1,301人 ([1]、1933年) |
隣接自治体 |
鳥取市、福部村 気高郡賀露村、千代水村 |
中ノ郷村役場 | |
所在地 | 鳥取県岩美郡中ノ郷村大字覚寺字坪ノ下268-2 |
座標 | 北緯35度31分30秒 東経134度13分58秒 / 北緯35.524928度 東経134.232722度座標: 北緯35度31分30秒 東経134度13分58秒 / 北緯35.524928度 東経134.232722度 |
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中ノ郷村(なかのごうそん)は、鳥取県岩美郡にあった自治体である。1896年(明治29年)3月31日までは邑美郡に属した。
概要
[編集]千代川河口右岸およびその支流の旧袋川右岸に位置し、北は日本海に面した。
中ノ郷の名は「邑美・中ノ郷」から出ている。藩政時代から使われていた邑美郡の邑美郷は邑美上ノ郷(東町・湯所の一部)、邑美中ノ郷(湯所・丸山・田島付近)、邑美下ノ郷(覚寺・円護寺・浜坂)に分かれていたという[3]。
浜坂砂丘から円護寺に至る丘陵地帯が早くから開けており、大応寺や円護寺などが建立され仏教の中心地なっていた。830年代には円仁(慈覚大師)によって摩尼寺が開かれた[1]。
市制・町村制施行前は東町・西町などと同一の連合戸長役場に属しており中ノ郷村発足後も鳥取市とは関係が深く、教育や衛生などを同市に委託していたことから1899年(明治32年)頃から合併が提唱されていた。合併条件としては道路改修や覚寺の飲料水設備の設置などがあった。最後の村長は西村伝蔵、助役は村上善市であった[1]。
沿革
[編集]- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制の施行により、東町外六ヶ町村連合戸長役場管轄区域から覚寺村・円護寺村・浜坂村が合併して村制施行し、中ノ郷村が発足。旧村名を継承した3大字を編成し、役場を覚寺村に設置。それ以外の3町1村は市制施行して鳥取市となった[4][5]。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 郡制の施行により、邑美郡・法美郡・岩井郡の区域をもって岩美郡が発足し、岩美郡中ノ郷村となる。
- 1914年(大正3年)10月1日 - 「中ノ郷村大字○○村」から大字の「村」を削除し、「中ノ郷村大字○○」と呼ぶことになる[6]。
- 1924年(大正13年)10月1日 - 役場位置を大字覚寺字坪ノ下268ノ2に変更[7]。
- 1933年(昭和8年)4月1日 - 鳥取市に編入。同日中ノ郷村廃止[8]。
合併後
[編集]3大字(覚寺・円護寺・浜坂)は鳥取市の大字として継承されたが、その後一部は山城町・北園となった[9]。
また現在の鳥取市自治連合会の地区別単位組織としての中ノ郷地区は、覚寺・円護寺・山城・覚寺口・円護寺団地・北園1丁目・北園2丁目・北園団地の計8地区を構成している[10]。
行政
[編集]戸長
[編集]歴代村長
[編集]- 喜田村久平 - 上根宣幸 - 宮脇長太郎 - 宮脇松太郎 - 西村伝蔵[12]
教育
[編集]- 中ノ郷尋常高等小学校(1960年に鳥取市立城北小学校に統合、1995年に分離して鳥取市立中ノ郷小学校となる)
交通
[編集]鳥取城下から但馬を結ぶ但馬往来が浜坂を通っており明治まで続いていたが、海岸から吹き付ける漂砂のために往来は海岸から内陸へと移動した[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c d 鳥取市七十年 : 市史(鳥取市、1962年)
- ^ 1/25000鳥取北部 昭和7年測図・昭和9.11.30発行(今昔マップ on the web)
- ^ ふるさと中ノ郷 : 地域学習読本・歌集(鳥取市立中ノ郷小学校、2000年)
- ^ a b 鳥取市史(鳥取市、1943年)
- ^ 角川日本地名大辞典 鳥取県「中ノ郷村(近代)」
- ^ 「字名改称並区域変更」『官報』1914年9月29日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「村役場位置変更」『官報』1924年10月13日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鳥取県告示第124号・岩美郡中ノ郷村鳥取市ニ編入」『鳥取県広報 第406号』1933年3月28日(鳥取県立公文書館)
- ^ 町名地番の新旧対照表について(鳥取市総務部総務課)
- ^ 地区別単位組織一覧表(鳥取市自治連合会ホームページ)
- ^ 鳥取県職員録 明治22年9月調(鳥取県、1889年)
- ^ 市町村治績録 改訂第2版(日本自治協会、1930年)