中原綾子
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中原 綾子(なかはら あやこ、1898年2月17日 - 1969年8月24日)は、大正時代から昭和時代にかけての女流歌人。
略伝
[編集]旧柳河藩士であった曽我祐保の次女として、父の任地・長崎に生まれる。父の転任に従って大阪・神戸・朝鮮へと移るが、主として東京に在住する。1915年(大正4年)に東洋高等女学校を卒業後、作歌を始めていたが1918年(大正7年)から与謝野晶子に師事し、新詩社同人としてその歌を『明星』に発表するようになる[1]。同じく『明星』に参加していた高村光太郎と親交があり、統合失調症を病んだ妻・智恵子の自宅療養と介護に忙殺され疲弊した光太郎は、度々中原へ手紙を送っている[2] 。
1929年(昭和4年)6月、吉井勇・秦豊吉らとともに文芸誌『相聞』(後に『スバル』と改称)を公刊、詩や戯曲を発表する。1931年(昭和6年)8月には歌誌『いずかし』を主宰して発行した。1947年(昭和22年)3月、第3期『明星』に参加し顧問となる。1950年(昭和25年)2月には第73期『スバル』を創刊主宰。同じ年の3月にはロマンス社から『定本与謝野晶子全集』の刊行のため湯淺光雄とともに編輯し始めるが、ロマンス社の経営難と紛糾のため第1巻で中絶している[1]。
著書
[編集]- 歌集
- 『真珠貝』(新潮社、1921年)
- 『深淵』(交蘭社、1927年)
- 『みをつくし』(太白社、1929年)
- 『刈株』(タイムス出版社、1943年)
- 詩集 『悪魔の貞操』(書物展望社、1935年) 序文・題字:高村光太郎・新居格、口絵:小泉秀雄
参考文献
[編集]- 松本和男編著 『歌人 中原綾子』(中央公論事業出版、2002年)
- 福田周「心の病に寄り沿うということ : 高村光太郎と妻智恵子」『死生学年報』第16号、リトン、2020年3月、87-114頁、NAID 40022277318。