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中家村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
なかやむら
中家村
茨城県新治郡中家村大字上高津字小橋(現・土浦市上高津)にあった中家村役場
茨城県新治郡中家村大字上高津字小橋(現・土浦市上高津)にあった中家村役場
廃止日 1937年4月1日
廃止理由 編入合併
中家村土浦町
現在の自治体 土浦市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 茨城県
新治郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 4,500
(国勢調査[1]、1935年)
隣接自治体 都和村、土浦町、東村九重村栄村藤沢村
中家村役場
所在地 茨城県新治郡中家村大字上高津字小橋[2]
座標 北緯36度04分19秒 東経140度11分46秒 / 北緯36.07186度 東経140.19606度 / 36.07186; 140.19606座標: 北緯36度04分19秒 東経140度11分46秒 / 北緯36.07186度 東経140.19606度 / 36.07186; 140.19606
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中家村(なかやむら)は茨城県新治郡にかつて存在した村である。現在の茨城県土浦市の南部に位置し、一中地区および四中地区のそれぞれ一部に相当する。

歴史

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沿革

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  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、信太郡宍塚村・佐野子村・飯田村・矢作村・下高津村・中高津村・上高津村・小松村および新治郡粕毛村が合併して信太郡中家村が発足。宍塚・佐野子・飯田・矢作・下高津・中高津・上高津・小松・粕毛がそれぞれ中家村の大字となる。村役場は下高津に設置された[1]
  • 1896年(明治29年)3月29日 - 信太郡消滅、新治郡中家村
  • 1937年(昭和12年)4月1日 - 新治郡土浦町に編入。同日中家村廃止。9大字は土浦町に継承[1]
  • 1940年(昭和15年)11月3日 - 新治郡土浦町と同真鍋町が合併し、土浦市が発足。

大字

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現在はすべて土浦市の大字として継承されている。

上記のうち下高津・中高津・上高津・小松は現在の土浦市の四中地区、矢作・飯田・佐野子・宍塚・粕毛は一中地区である。

地域

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村役場

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現在の土浦市下高津2丁目、銭亀橋脇の旧水戸街道沿い(現況は民有地)。中家村役場が置かれる前は戸長役場があった[2]。役場庁舎は1892年(明治25年)に335円をかけて建設された[2]

教育

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人口・世帯

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人口

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総数 [単位: 人]

1891年(明治24年) 2,809
1920年(大正9年) 3,422
1935年(昭和10年) 4,500

世帯(戸数)

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総数 [単位: 世帯]

1891年(明治24年) 535
1920年(大正9年) 704
1935年(昭和10年) 876

関連項目

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脚注

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  1. ^ a b c 角川日本地名大辞典JLogos版「中家村(近代)」より。2014年8月10日閲覧。
  2. ^ a b c 土浦市文化財愛護の会古写真調査研究部 編 1990, p. 108.

参考文献

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  • 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。
  • 土浦市文化財愛護の会古写真調査研究部 編 編『むかしの写真土浦』土浦市教育委員会、1990年3月31日、208頁。 全国書誌番号:91013150