土浦町
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つちうらまち 土浦町 | |
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廃止日 | 1940年11月3日 |
廃止理由 |
新設合併 土浦町・真鍋町 → 土浦市 |
現在の自治体 | 土浦市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 茨城県 |
郡 | 新治郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
隣接自治体 | 新治郡真鍋町、都和村、藤沢村、栄村、九重村、稲敷郡阿見村、朝日村、岡田村、筑波郡小野川村 |
土浦町役場 | |
所在地 |
茨城県新治郡土浦町字前川町377番地1 |
座標 | 北緯36度04分54秒 東経140度12分15秒 / 北緯36.08158度 東経140.20406度座標: 北緯36度04分54秒 東経140度12分15秒 / 北緯36.08158度 東経140.20406度 |
ウィキプロジェクト |
土浦町(つちうらまち)は茨城県の南部、新治郡にあった町。現在の土浦市の主要部にあたる。
歴史
[編集]→詳細は「土浦市」を参照
沿革
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、新治郡土浦町が単独で自治体を形成。
- 1937年(昭和12年)4月1日 - 新治郡中家村を編入。
- 1938年(昭和13年)6月1日 - 新治郡藤沢村の一部(大字虫掛)を編入。
- 1939年(昭和14年)6月1日 - 新治郡東村を編入。
- 1940年(昭和15年)11月3日 - 新治郡真鍋町と新設合併して土浦市が発足。同日土浦町廃止。
地勢
[編集]東西約2.4 km、南北約1.6 km。東に霞ケ浦を望み、南を桜川で隔てられる。低地が多く概ね平坦である。中心市街には商家が密集する。
名所
[編集]- 霞ケ浦
- 土浦城址
- 郁文館址 - 外西町。旧土浦藩校。明治6年、新治県師範学校。県合併後に茨城県立第二中学校。明治25年、土浦高等小学校。現在の土浦第一小学校の一角にある。
- 平国香の墓 - 字明神。現在の田中八幡神社。
- 等覚寺 - 田宿町。八田知家の子・法眼明玄が開基。土浦城西側の堀の内にあり、土塁を隔てて三ノ丸(滅失)に隣接する。銅鐘は国宝である。
- 神龍寺 - 西門町(現在の文京町)。曹洞宗。
- 棉津 - 川口町。水郷汽船の発着所。
- 櫻川 - 別名・筑波川。
- 銭亀橋 - 水戸街道の櫻川に架かる。慶長8年、旧江戸幕府直轄事業で竣工。
- 閘門橋 - 川口閘門。湖水の川口川・田町川への逆流を防ぐ。土浦の歴史は洪水との戦いの歴史でもある。
- 西子岡公園 - 横町。園内に月讀神社を祀る。
地域
[編集]字として17町(明治34年)。
- 内西町(うちにし)
- 外西町(そとにし)
- 西門町(にしもん)
- 本町(ほん)
- 前川町(まえがわ)
- 鷹匠町(たかじょう)
- 築地町(つきぢ)
- 川口町(かわぐち)
- 東崎町(とうざき)
- 田町(た)
- 横町(よこ)
- 田中町(たなか)
- 立田町(たつた)
- 中城町(なかじょう)
- 田宿町(たじく)
- 大町(おお)
- 中町(なか)
官公署
[編集]- 新治郡役所
内西町。明治11年、土浦城本丸跡に設置された。
- 町役場
- 土浦裁判所
判事5、検事2、書記10など計38名(明治43年)。
- 沿革 - 明治5年、新治裁判所。明治8年、茨城裁判所土浦出張所。明治9年、土浦区裁判所。明治23年、水戸地方裁判所土浦支部・土浦区裁判所。
- 管轄 - 土浦区裁は旧新治郡全域、筑波郡の一部および稲敷郡の一部。土浦支部は土浦区裁、竜ケ崎区裁および麻生区裁の管内全域。
本町。署前には全町を見渡せる火の見櫓があった。現況は多摩川土浦ビル。昭和12年、立田町移転。
- 土浦監獄
- 土浦税務署
内西町。新治郡内の国税事務を一手に掌る。現況は関東信越税理士会土浦支部。
内西町。明治5年、土浦郵便取扱所として開設。昭和3年に本町、昭和12年に川口町(現況はアーバンスクエア土浦)に移転。
- 土浦電信局
内西町。明治21年設置。
- 土浦憲兵分隊
内西町。管轄は新治郡、西茨城郡、眞壁郡、稲敷郡、筑波郡、結城郡、猿島郡、北相馬郡、鹿島郡の一部、行方郡および東茨城郡の一部。
氏名 | 就任日 | 備考 | |
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初代 | 檜山信可 | 1889年4月 | 旧土浦藩奉行 |
2代 | 檜山信邦 | 1903年8月 | 前千葉県山武郡長、信可の子、在任中死去 |
3代 | 稲見明精 | 1918年3月 | 元静岡県榛原郡長、在任中死去 |
4代 | 笹部重道 | 1920年9月 | |
5代 | 萩谷徳一 | 元茨城県警察部警務課長、のち茨城県議 |
全て官選。職務代理者の期間あり。
教育
[編集]経済
[編集]農業に適する田畑は非常に少ない。水産は霞ケ浦の蝦・公魚・白魚など。繭の集散も盛んである。
金融
[編集]商業
[編集]- 鬼澤染め物店
- 國分商店
- 柴沼醤油
- 筑波鉄道本社
- 土浦米穀取引所 - 中城町。
- 土浦繭糸市場(つちうらけんし) - 本町。大正6年開設。一時は国内有数の取引高を誇り、県内外の製糸工場へ繭糸を送った。
- 豊島百貨店 - 本町。
- 小沼養魚場
- 尾形呉服店(中城)、櫻井家具店(中城)、大久保寫眞舘(小櫻)、上野小間物店(本町)、大國屋、仁水堂薬局(駅前通)、富山百貨店(敷島)、小野文呉服店(本町)、櫻井旗店(敷島)、川魚料理・服部(三好)、樽井靴店(仲町)、丸山時計店(外西)、ホワイト撞球場(駅前通)、色川洋服店(中城)
劇場
[編集]交通
[編集]南北に国道が貫通、その他大小道が縦横に走る。鉄道は、上野-平間に在って土浦停車場あり。水運は稲敷・佐原・銚子に汽船便を擁する水陸の要衝である。
鉄道
[編集]航路
[編集]朝日丸汽船所が土浦-佐原・大船津を、銚子汽船会社が土浦-銚子を往復営業し、明治大正期における湖上交通の基幹をなした。土浦佐原間は、土浦(川口川の河口)、沖宿、木原、牛渡、有河、志戸崎、井ノ上、五丁田、橋門、麻生、牛堀、荒川、佐原の各発着所を結んだ。
乗合自動車
[編集]昭和7年の土浦発着バス路線と経営会社である。
- 真鍋-石岡(本橋自動車)
- 真鍋-柿岡(平和自動車)
- 大和田(霞自動車)
- 阿見(常南電車)
- 木原-江戸崎(土浦自動車)
- 荒川沖-牛久(本橋自動車)
- 中根-一ノ谷-大曽根-北條(アサヒ自動車商会)
- 小田-北條-筑波(霞自動車)
- 谷田部-水海道-岩井-境(土浦自動車)
道路
[編集]- 水戸街道(陸前浜街道)
出身者
[編集]脚注
[編集]- ^ “山口 剛(ヤマグチ タケシ)とは”. コトバンク. 2015年6月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年6月14日閲覧。
参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典 8 茨城県