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中尾哲雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

中尾 哲雄(なかお てつお、1936年4月2日 - )は、日本実業家インテック社長インテックグループCEOカターレ富山代表取締役社長、ITホールディングス会長を歴任。

人物・来歴

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富山県魚津市出身。高校3年のときに結核にかかり、大学進学を志して上京するも喀血して帰郷せざるを得なかった。富山大学経済学部卒業後、証券会社に入り、不二越の創業者井村荒喜の紹介で富山商工会議所に入所。課長時代に、金岡幸二のコンピュータ会社創立に加わり、地元企業への根回しを担当する[1]。金岡急逝後、インテックの社長に就任。

アイザック最高顧問、北国インテックサービス相談役、マイテック相談役、富山経済同友会特別顧問のほか、社団法人テレコムサービス協会会長、富山県とやま起業未来塾塾長、富山県公安委員会委員長を歴任。明治の日推進協議会会長代行[2]。魚津市名誉市民[3]。富山市名誉市民[4]。富山大学名誉博士[5]

2008年(平成20年)11月旭日中綬章受章[6]

経歴

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  • 1936年(昭和11年)4月2日生
  • 1955年(昭和30年)3月 - 富山県立魚津高等学校卒業
  • 1960年(昭和35年)3月 - 富山大学経済学部卒業
  • 1960年(昭和35年)4月 - 日興證券株式会社(現SMBC日興証券株式会社)入社
  • 1965年(昭和40年)4月 - 富山商工会議所入所
  • 1973年(昭和48年)8月 - 株式会社インテック入社
  • 1976年(昭和51年)4月 - 同社理事経理部長兼経営管理部長
  • 1978年(昭和53年)6月 - 同社取締役経理部長兼経営管理部長
  • 1984年(昭和59年)5月 - 同社常務取締役経理部、経営管理部、営業企画室担当
  • 1990年(平成2年)6月 - 同社代表取締役専務経営管理部、東地区本部担当財務部長
  • 1993年(平成5年)8月 - 同社代表取締役社長
  • 2002年(平成14年)6月 - 同社代表取締役社長グループ最高経営責任者
  • 2005年(平成17年)4月 - 同社代表取締役会長インテックグループCEO(最高経営責任者)(現任)
  • 2006年(平成18年)10月 - 株式会社インテックホールディングス(以下インテックHD)代表取締役会長兼社長最高経営責任者
  • 2007年(平成19年)11月 - 株式会社カターレ富山代表取締役社長(球団代表)
  • 2008年(平成20年)4月 - インテックHD代表取締役会長
  • 2008年(平成20年)4月 - TIS株式会社とインテックHDが共同持ち株会社「ITホールディングス株式会社」を設立し経営統合
  • 2008年(平成20年)4月 - ITホールディングス株式会社代表取締役会長
  • 2009年(平成21年)4月 - 株式会社カターレ富山代表取締役会長(球団代表)
  • 2009年(平成21年)4月 - 株式会社インテック代表取締役会長
  • 2012年(平成24年)6月 - ITホールディングス株式会社取締役
  • 2012年(平成24年)6月 - 株式会社インテック代表取締役最高経営責任者
  • 2013年(平成25年)6月 - 株式会社インテック最高顧問
  • 2015年(平成25年)3月 - 株式会社インテック最高顧問退任
  • 2018年(平成30年)4月 - この年に開校した魚津市立よつば小学校の作詞を手掛ける[7]

脚注

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  1. ^ IT人物列伝 金岡幸二氏 インテック創業者”. kisyakai.blog.shinobi.jp. 2020年5月21日閲覧。
  2. ^ 明治の日推進協議会役員一覧(令和5年10月23日現在)”. 明治の日推進協議会. 2023年11月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年2月1日閲覧。
  3. ^ 魚津市名誉市民一覧” (PDF). 魚津市. 2022年8月11日閲覧。
  4. ^ 富山市名誉市民” (PDF). 富山市. 2022年8月11日閲覧。
  5. ^ 中尾・北野さんに名誉博士称号 富山大贈る”. 2016年4月8日閲覧。
  6. ^ 中綬章受章者の顔触れ(1)”. 四国新聞社 (2008年11月3日). 2023年6月17日閲覧。
  7. ^ 広報うおづ 2018年4月号2ページ『歴史に幕 大町小・村木小・本江小・上野方小 それぞれの思い出を胸に…』