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中島朗洋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

中島朗洋(なかじま あきひろ、1971年3月17日[1] - )は日本財務官僚。財務省では主計局総務課企画係での勤務が長く[2][3][4]石破内閣では石破内閣総理大臣秘書官(事務担当)を務めた。

来歴

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兵庫県出身[1]一橋大学経済学部を卒業し、1993年 大蔵省に入省。入省時の成績は同期内でも最も高かった1人だという[5]大臣官房文書課に法令審査官補として配属[注 1][4]。同期に玉木雄一郎木原誠二小森卓郎永田寿康吉野維一郎植松利夫今村英章竹中治堅らがいる。法令審査官として省内各局の法令のチェックに従事した。1年目は国際局を担当。2年目は主税局を担当。阪神・淡路大震災の被災者支援の税制の特例を設ける法令案をチェックした[4]

主計局調査課調査第一係長[8]、主計局法規課長補佐兼主計局総務課企画係長[2][3]、主計局法規課長補佐となり、2001年1月6日財務省主計局法規課長補佐。

同年7月 青森県健康福祉部高齢福祉保険課長。介護保険医療保険高齢者福祉の司令塔役となった[3]。3年目からは同県総務部財政課長となり、予算編成県議会との調整に従事。

2008年7月 主計局主計官補佐(公共事業総括、第一、二係主査)。道路予算を査定するとともに公共事業予算全体の調整の役割を担った[9]2009年7月 主計局総務課長補佐(企画係主査)。2度の当初予算と3度の補正予算の取りまとめを担当。

2013年6月28日から麻生財務大臣秘書官(事務担当)兼内閣官房国務大臣秘書官(事務担当))。

2016年7月19日に主計局調査課長となり、その後は主計局主計官(文部科学担当)、主計局主計官(国土交通、公共事業担当)を経て、2020年7月20日に主計局主計官兼主計局総務課(企画担当)。2021年7月8日 大臣官房文書課長。

2022年6月24日 内閣官房内閣審議官内閣官房副長官補(内政担当)付)兼内閣官房新しい資本主義実現本部事務局次長兼内閣官房就職氷河期世代支援推進室次長兼内閣官房全世代型社会保障構築本部事務局審議官。2024年7月5日 主計局次長(末席)。

同年10月1日 石破内閣総理大臣秘書官(事務担当)

矢野康治と同じ一橋大学経済学部の学派であり、ともにゴリゴリの財政再建論者だとされている[10]

略歴

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脚注

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注釈

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  1. ^ かつては1に文書課、2に秘書課、3に主計局総務課といわれており、成績のトップクラスが大臣官房文書課、その中でも温厚な人物が秘書課、それらの次が主計局総務課に配属されるのが粗定例となっていた[6][7]

出典

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  1. ^ a b 『政官要覧 令和4年秋号』政官要覧社、2022年9月発行、644・654頁
  2. ^ a b c 『大蔵要覧 平成12年版』1999年12月発行、26頁
  3. ^ a b c d 『職員録 平成12年版 上巻』国立印刷局、1999年11発行、413頁
  4. ^ a b c 第2部 財務省職員のキャリアパス” (PDF). 財務省(総合職) (2019年). 2024年12月18日閲覧。
  5. ^ 文藝春秋 2025年1月号』2024年12月10発行、216・217頁
  6. ^ 岸宣仁『財務官僚の出世と人事』文春新書、2010年8月発行、52頁
  7. ^ 『【54-財務省“最強世代”の研究】(上) 同期3人が事務次官に 週刊文春』”. ScorpionsUFOMSGのブログ. 2024年12月18日閲覧。
  8. ^ a b 『職員録 平成10年版 上巻』国立印刷局、1997年11発行、404頁
  9. ^ 中島朗洋. “職員からのメッセージ [主査の1日 中島 朗洋]”. 財務省. 採用情報-平成21年度版 I種. 財務省. 2011年3月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年12月18日閲覧。
  10. ^ ZAITEN 2024年12月号』2024年11月1発行、41頁