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中本範治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

中本 範治[1][2](なかもと はんじ、1865年慶応元年)[3][注 1] - 没年不明)は、日本会社役員地主[注 2][6]名望家[1]篤農家[7]政治家。鳥取県西伯郡県村[1][2][3]

経歴

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鳥取県西伯郡県村(現・米子市)出身[4]。宇平の嫡男[4]。村夫子に従い漢籍、句読、習字算数の術を学ぶ[4]

1890年自由党に入党する[4]政友会の組織が成立すると、その会員となる[4]町村制実施と共に村役場書記となり、1894年に郡書記に栄転する[3]

1898年、県村長に推される[3]。郡立病院監事、米子農業倉庫監事、尾高井手水利組合管理者等を兼ねる[3]。大山自動車取締役[3]、県報徳社理事[8]、保証責任製糸信用販売購買利用組合理事[9]をつとめる。郡会議員、郡参事会員、その他の公職に就く[3]

1921年、村長勤続により勲七等に叙せられ、県及び郡の表彰を受ける[3]

人物

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中本範治について、『商工資産信用録 第38回 中国・四国版』には「調査年月・1936年1月、正身身代・V、信用程度・C、職業・会社重役、地主」とある[6]

『商工資産信用録 第43回』には「調査年月・1941年11月、正身身代・V、年扱高又は年収・未詳、信用程度・CD、職業・会社重役」とある[10]

住所は鳥取県西伯郡県村大字石州府[8][9]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『郷土更生誌』では7月3日出生[3]、『島根鳥取名士列伝 中』では7月5日出生[4]とある。
  2. ^ 『西伯之資力 大正11年10月調』によると、中本範治の地価所有高は、999円4銭である[5]

出典

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  1. ^ a b c 『鳥取島根官民肖像録』266頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月12日閲覧。
  2. ^ a b 『大日本紳士名鑑』鳥取県 29頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年12月31日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i 『郷土更生誌』259頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月11日閲覧。
  4. ^ a b c d e f 『島根鳥取名士列伝 中』184 - 188頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月11日閲覧。
  5. ^ 『西伯之資力 大正11年10月調』97頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月11日閲覧。
  6. ^ a b 『商工資産信用録 第38回 中国・四国版』ナ19頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月11日閲覧。
  7. ^ 『大日本篤農家名鑑』鳥取県174頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月12日閲覧。
  8. ^ a b 『官報 1907年02月09日』官報 第7082号 285頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月30日閲覧。
  9. ^ a b 『官報 1935年07月16日』官報 第2560号 15頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月11日閲覧。
  10. ^ 『商工資産信用録 第43回』鳥取県ノ之部15頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年11月1日閲覧。

参考文献

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  • 深田豊市編『島根鳥取名士列伝 中』博進館、1903 - 1906年。
  • 大蔵省印刷局編『官報 1907年02月09日』日本マイクロ写真、1907年。
  • 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
  • 深田豊一編『鳥取島根官民肖像録』博進館、1912年。
  • 竹内伊四郎編『大日本紳士名鑑』明治出版社、1916年。
  • 西伯の資力調査会編『西伯之資力 大正11年10月調』西伯資力調査部、1922年。
  • 『郷土更生誌』内外新聞通信社、1935年。
  • 大蔵省印刷局編『官報 1935年07月16日』日本マイクロ写真、1935年。
  • 『商工資産信用録 第38回 中国・四国版』商業興信所、1937年。
  • 商業興信所編『商工資産信用録 第43回』商業興信所、1941 - 1943年。