中本範治
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中本 範治[1](なかもと はんじ、1865年(慶応元年)[2][注 1] - 没年不明)は、日本の会社役員、地主[注 2][5]、名望家[1]、篤農家[6]、政治家。鳥取県西伯郡県村長[1][2]。
経歴
[編集]鳥取県西伯郡県村(現・米子市)出身[3]。宇平の嫡男[3]。村夫子に従い漢籍、句読、習字、算数の術を学ぶ[3]。
1890年、自由党に入党する[3]。政友会の組織が成立すると、その会員となる[3]。町村制実施と共に村役場書記となり、1894年に郡書記に栄転する[2]。
1898年、県村長に推される[2]。郡立病院監事、米子農業倉庫監事、尾高井手水利組合管理者等を兼ねる[2]。大山自動車取締役[2]、県報徳社理事[7]、保証責任製糸信用販売購買利用組合理事[8]をつとめる。郡会議員、郡参事会員、その他の公職に就く[2]。
1921年、村長勤続により勲七等に叙せられ、県及び郡の表彰を受ける[2]。
人物
[編集]中本範治について、『商工資産信用録 第38回 中国・四国版』には「調査年月・1936年1月、正身身代・V、信用程度・C、職業・会社重役、地主」とある[5]。
『商工資産信用録 第43回』には「調査年月・1941年11月、正身身代・V、年扱高又は年収・未詳、信用程度・CD、職業・会社重役」とある[9]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c 『鳥取島根官民肖像録』266頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月12日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 『郷土更生誌』259頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月11日閲覧。
- ^ a b c d e f 『島根鳥取名士列伝 中』184 - 188頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月11日閲覧。
- ^ 『西伯之資力 大正11年10月調』97頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月11日閲覧。
- ^ a b 『商工資産信用録 第38回 中国・四国版』ナ19頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月11日閲覧。
- ^ 『大日本篤農家名鑑』鳥取県174頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月12日閲覧。
- ^ a b 『官報 1907年02月09日』官報 第7082号 285頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月30日閲覧。
- ^ a b 『官報 1935年07月16日』官報 第2560号 15頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月11日閲覧。
- ^ 『商工資産信用録 第43回』鳥取県ノ之部15頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年11月1日閲覧。
参考文献
[編集]- 深田豊市編『島根鳥取名士列伝 中』博進館、1903 - 1906年。
- 大蔵省印刷局編『官報 1907年02月09日』日本マイクロ写真、1907年。
- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
- 深田豊一編『鳥取島根官民肖像録』博進館、1912年。
- 西伯の資力調査会編『西伯之資力 大正11年10月調』西伯資力調査部、1922年。
- 『郷土更生誌』内外新聞通信社、1935年。
- 大蔵省印刷局編『官報 1935年07月16日』日本マイクロ写真、1935年。
- 『商工資産信用録 第38回 中国・四国版』商業興信所、1937年。
- 商業興信所編『商工資産信用録 第43回』商業興信所、1941 - 1943年。