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中村勝麻呂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

中村 勝麻呂(なかむら かつまろ、1875年〈明治8年〉3月 - 1944年〈昭和19年〉3月23日[1])は、日本の歴史学者教育者史料編纂官および立教大学文学部教授を務め[2]幕末から維新期の古文書の編纂を行った[1]

人物・経歴

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1875年(明治8年)3月、滋賀県で中村平太の長男として生まれる[2]。叔父には、彦根藩儒学者の中村不能齊(中村不能斎)がおり、養子の関係から勝麻呂は不能斎の孫となる[3][4]

1901年(明治34年)、東京帝国大学文科大学史学科を卒業し、同大学院に入り幕末外交史を専攻する[2]

1908年(明治41年)、東京帝国大学の史料編纂掛(後の史料編纂所)に務める史料編纂官に任ぜられ[2]、1935年(昭和10年)まで勤務する[2]

その間、1925年(大正14年)に、立教大学文学部に史学科が設置されると、辻善之助(東京帝国大学史料編纂所初代所長、実証的な日本仏教史の確立者)と藤本了泰仏教学者僧侶天徳寺住職)とともに日本史の教授に就任した[5][6]

1938年(昭和13年)から、文部省の維新史料編纂会の常任委員になり、維新史料編纂事業の方向性を決める委員の一人を務めた[1]

主な著作

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  • 『井伊大老と開港』啓成社 1909年(明治42年)
  • 『彦根山由来記』中村不能齊(中村不能斎)著 中村勝麻呂校訂発行 明治43年
  • 『井伊大老茶道談 上巻』箒文社 1914年(大正3年)
  • 『井伊大老茶道談 下巻』箒文社 1914年(大正3年)
  • 『至誠之人 井伊大老 巻之1』黄華書屋 1921年(大正10年)

親族・家族

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脚注

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  1. ^ a b c 漢学感覚 【はかをたずねて三千里】中村勝麻呂 2008年11月9日
  2. ^ a b c d e 名古屋大学大学院法学研究科 『中村勝麻呂』 『人事興信録』データベース第8版,昭和3(1928)年7月
  3. ^ 彦根観光ガイド 『石碑 中村不能斎屋敷跡』公益社団法人彦根観光協会/彦根市観光交流課
  4. ^ 彦根城博物館 要旨『資料翻刻「楽器類留」続 弾きもの』 高木恵,渡辺恒一
  5. ^ 海老沢 有道,大久保 利謙,森田 優三(他)「立教大学史学会小史(I) : 立教史学の創生 : 建学から昭和11年まで (100号記念特集)」『史苑』第28巻第1号、立教大学史学会、1967年7月、1-54頁、ISSN 03869318 
  6. ^ 小澤 実「小林秀雄の時代―戦前戦中の立教史学科、史学会、『史苑』」、勉誠出版、2022年5月。