中江孝男
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個人情報 | |
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国籍 | 日本 |
生誕 | 1913年4月30日 |
スポーツ | |
競技 | バスケットボール |
中江 孝男(なかえ たかお、1913年4月30日 - 没年不明)は、日本の官僚・実業家。東京帝国大学在学中にバスケットボール選手として活躍し、1936年ベルリンオリンピックへの出場経験がある[1]。のちに農林省に官僚として勤務したのち、祖父中江種造の興した中江産業に務める。志賀直哉の娘婿である[2]。
経歴
[編集]祖父は鉱山王と呼ばれ中江産業を興した中江種造[2]。父は種造の子・種一で、母は料理研究家として知られる中江百合(渡辺暢の娘)[2][3]。
旧制成城高等学校、東京帝国大学農学部に学び[4]、籠球部に所属。1936年ベルリンオリンピックでは、同じ東京帝大の田中秀次郎・鹿子木健日子とともにバスケットボール日本代表に選ばれた[4]。
大学卒業後、農林省に入省し官僚となる[2]。妻は志賀直哉の三女・寿々子[2]。
のちに祖父が興した中江産業に入り、役員となる[2]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “Takao Nakae Olympic Results”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年6月10日閲覧。
- ^ a b c d e f 阿川弘之『志賀直哉 上』新潮社〈新潮文庫〉、1997年。ISBN 4101110158。
- ^ “中江種一 (第8版 [昭和3(1928)年7月]の情報)”. 『人事興信録』データベース. 2022年4月21日閲覧。
- ^ a b “日本選手第一号から1976モントリオール大会まで 淡青色のオリンピアンたち|オリパラと東大。”. 東京大学. 2022年4月21日閲覧。