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中野真博

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中野 真博
青山学院大学硬式野球部 投手コーチ
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 石川県金沢市
生年月日 (1976-06-08) 1976年6月8日(48歳)
身長
体重
182 cm
74 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 東芝
  • 青山学院大学

中野 真博(なかの まさひろ、1976年6月8日 - )は、石川県出身の元野球選手投手、右投右打)、野球指導者。

経歴

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金沢高校では1年上に高須洋介(青学大でも先輩)がおり、1年秋の北信越大会では福井商横山竜士と投げ合うなど3試合に先発して全て4安打に抑え、優勝してチームの第65回選抜高等学校野球大会出場に貢献した[1]。2年生になると夏の県大会で40イニングを投げて被安打23、7失点と安定感のある投球を見せ、打撃面でも打率.615の成績で2季連続となる第75回全国高等学校野球選手権大会へ出場を決めた[2]。本大会では初戦で山村宏樹を擁する甲府工に敗れている[3]

走り込みによる下半身強化で球速スライダーの威力が増し[4]、2年秋の北信越大会全試合に完投して2年連続優勝、3年春には第66回選抜高等学校野球大会に出場。江の川との1回戦で、第50回大会松本稔以来16年ぶり、センバツ史上2人目の完全試合を達成した。投球数は99球でスコアは3対0、捕手のリードに任せて投げて8回までは記録を意識しなかったという[5]。試合後のインタビューでは「もっと大げさに喜んでも良かったかな」と答えている[6]PL学園との2回戦では先頭打者の大村三郎にヒットを打たれ、12奪三振を記録するも打線が抑えられて0対4で敗れた。3年夏の県大会では決勝戦で1年生の山本省吾が先発した星稜に敗れ、4季連続の全国大会出場はならなかった。

高校卒業後はプロ6球団から誘いがあった[7]青山学院大学に進み、澤崎俊和倉野信次が主力だった1996年に2年生でベンチ入りを果たす[8]。3年生からはエースとなるも、後輩の石川雅規らが台頭して大学では通算6勝に終わった[7]。卒業後は大学の先輩・坪井智哉の勧めもあって東芝に入社[7]。4年目の2002年には須田喜照銭場一浩香月良太らに次ぐ存在となり[9]、翌年には銭場とともに投手陣の中心となる[10]

2007年4月には練習試合で相手の打球を右足で止めた際に骨折し、全治6ヶ月の重傷を負った[11]2008年都市対抗日産自動車の補強選手に選ばれ[12]、社会人10年目で東京ドーム初登板を果たした。2009年に現役を引退し、東芝の投手コーチとなった[13]。東芝が経営再建を進める中で2017年限りで野球部を離れ社業に専念し[14]、その後は営業職を務めた[15]

2019年4月1日付で母校・青山学院大学の投手コーチに就任した[16]

脚注

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  1. ^ 毎日新聞、1992年12月17日付朝刊、P.21
  2. ^ 朝日新聞、1993年8月4日付朝刊、P.19
  3. ^ asahi.com 第75回全国高校野球選手権大会 甲府工 対 金沢
  4. ^ 毎日新聞、1994年2月24日付朝刊、P.20
  5. ^ 朝日新聞、1994年3月27日付朝刊、P.34
  6. ^ 毎日新聞、1994年3月27日付朝刊、P.31
  7. ^ a b c 毎日新聞、1999年3月5日付朝刊、P.22
  8. ^ 朝日新聞、1996年4月9日付朝刊、P.19
  9. ^ 毎日新聞、2002年5月28日付朝刊、神奈川地方面
  10. ^ 毎日新聞、2003年6月5日付朝刊、神奈川地方面
  11. ^ 毎日新聞、2007年9月1日付朝刊、P.30
  12. ^ 都市対抗野球・補強選手紹介
  13. ^ 毎日新聞、2009年5月22日付朝刊、神奈川地方面
  14. ^ 金沢・中野、振り払った“完全男”の重圧 史上2人目快挙の肩書「邪魔だった」
  15. ^ 週刊ベースボール2018年7月2日号
  16. ^ 新投手コーチ就任について”. 青山学院大学硬式野球部 (2019年4月1日). 2021年3月27日閲覧。

関連項目

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