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丹下紘希

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
丹下鉱希から転送)

丹下 紘希(たんげ こうき、1968年11月24日 - )は、主にミュージック・ビデオを手掛ける日本映像作家岐阜県出身。元ダンサー。Yellow Brain代表。映像製作者協会 (MVPA) 理事長。

概要

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舞踏家大野一雄に師事し、1988年にはブリスベン国際レジャー博覧会に滑川五郎と共にダンサーとして参加した。東京造形大学デザイン学科卒業後、1997年に文化庁在外派遣芸術家として、1年間ニューヨークに滞在。

アーティストの楽曲を大胆に解釈し、「丹下色」とも言われるグレー、モノクロ、セピア等を基調とした、独特の色彩の世界観を構築する映像が特徴。また、経歴に関係してか、ダンスを取り入れた作品が多い。ミュージック・ビデオでは、数々の賞を受賞している。2009年には、ミュージック・ビデオなど丹下が監督を務めた作品約40本を収録したDVDTANGE KOUKI VIDEO COLLECTION』が発売された。近年ではグラフィックのアートディレクションも手がけている。

Mr.Childrenと関わりが深く、多くのミュージック・ビデオやライブのスクリーン用映像、ライブ・ビデオの編集・演出を担当している。また、CDなどのアートワークやライブのグッズのほか、ライブで訪れた街のCDショップに訪問する「I ♥ CD shops!」プロジェクトのステッカーのデザインも手がけている。2004年には、楽曲「ファスナー」をモチーフにした作品『FASTENER』を制作し、Jam Films2で映画監督デビューを果たした。

過去に怒髪天増子直純LAUGHIN' NOSEらと包丁の実演販売のアルバイトをしていたことがある。

自身の仕事について、丹下は「イラク戦争を機に、心で判断して決めていこう。特に仕事の選択をする時は、自分心とまっすぐに向き合い、そこから離れていたり、矛盾している仕事なら選ばない」[1]「社会と関係している以上は、お金って絶対発生するわけですよね。それを無視した上で表現活動をするっていうのは無理だと思うんです。完全に社会と切り離されてしまっているのであれば別ですけど、そんな人滅多にいないですし、僕個人としては、アートと商業を両立させないといけないと思っている」[2]と述べている。

妻はダンサーの康本雅子

監督作品

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ミュージック・ビデオ

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ジャケット

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CM

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テレビ

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出演

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ネット番組

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脚注

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  1. ^ 飯島裕子「リレーインタビュー第89回 私の分岐点 映像作家丹下紘希さん」『ビッグイシュー日本版』第124号、有限会社ビッグイシュー日本、大阪市、2009年8月1日、3頁、2017年5月17日閲覧 
  2. ^ 丹下紘希(Mr.ChildrenなどPV監督)インタビュー”. CINRA.NET (2009年3月6日). 2021年5月4日閲覧。

外部リンク

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