久々利村
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くくりむら 久々利村 | |
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廃止日 | 1955年2月1日 |
廃止理由 |
合併 平牧村、今渡町、広見町、土田村、久々利村、春里村、帷子村 → 可児町 |
現在の自治体 | 可児市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 岐阜県 |
郡 | 可児郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 19.86 km2. |
総人口 |
1,782人 (1955年) |
隣接自治体 | 可児郡広見町、御嵩町、平牧村、多治見市、土岐郡泉町 |
久々利村役場 | |
所在地 | 岐阜県可児郡久々利村久々利1555-4 |
座標 | 北緯35度24分18秒 東経137度06分21秒 / 北緯35.40492度 東経137.10586度座標: 北緯35度24分18秒 東経137度06分21秒 / 北緯35.40492度 東経137.10586度 |
ウィキプロジェクト |
久々利村(くくりむら)は、かつて岐阜県可児郡にあった村である。
概要
[編集]村名は、かつて存在した荘園(久々利荘)に由来する。また「くくり」は、景行天皇が造営した仮宮、「泳の宮」(くぐりのみや)[1]に由来するという。
美濃焼の古窯が見つかっており、美濃焼発祥の地であるという説もある。
歴史
[編集]- 江戸時代初期 - この地域は美濃国可児郡に属し、尾張藩領で木曾衆の千村平右衛門家の千村陣屋と久々利九人衆の屋敷があった。
- 1875年(明治8年) - 旧来の久々利村、および丸山村、佐渡村、原見村、平柴村、我田村、酒井村が合併し発足。
- 1889年(明治22年)7月1日 - 柿下村と合併し、改めて久々利村が発足。
- 1955年(昭和30年)2月1日 - 今渡町、広見町、土田村、平牧村、春里村、帷子村と合併し可児町が発足。同日久々利村廃止。