久米田新太郎
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久米田 新太郎(くめた[1]/くめだ[2] しんたろう、1870年9月5日(明治3年8月10日)[3] - 1940年(昭和15年)8月3日[1])は、明治時代後期から昭和時代前期の政治家、実業家。貴族院多額納税者議員。
経歴
[編集]鹿児島城下御着屋筋(現鹿児島市東千石町)[2][4]で、キグスリ屋(薬屋)・久米田喜兵衛の長男として生まれる[4][5]。1898年(明治31年)以降、鹿児島市米穀商同業組合評議員、鹿児島商工会連合会会長、鹿児島県米穀、肥料、木炭各同業組合長、鹿児島郵船、大隅鉄道各社長[1]、鹿児島湾内汽船、日東汽船などの重役を歴任した[2][5]。1928年(昭和3年)鹿児島商工会議所会頭に就任した[2]。鹿児島港の開港にも関与した[2]。また、鹿児島貿易協会を設立し、台湾、朝鮮、満州国への航路の開拓に取り組んだ[4]。
1932年(昭和7年)鹿児島県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[6]から1939年(昭和14年)9月28日まで在任した[1]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版 近畿・中国・四国・九州篇』帝国秘密探偵社ほか、1938年。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年 。
- 『鹿児島大百科事典』南日本新聞社、1981年。
- 竹内理三ほか 編纂『鹿児島県姓氏家系大辞典』角川日本姓氏歴史人物大辞典46、角川書店、1994年。ISBN 4040024605。