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乾正春

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

乾 正春(いぬい まさはる、生年不詳 - 1830年10月8日文政13年8月22日))は、江戸時代後期の土佐藩士掛川衆侍。幼名は丑之助。通称は市郎兵衛(世襲名)、佐内と変わり、最後は乾 左八と名乗った[1]

来歴

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榧之内十文字
乾家 定紋

家族

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  • 父:乾正壽(宅平)
  • 母:本山茂苞(安之進)の娘
    • 本人:乾正春(左八)
    • 実弟:本山茂良(乾右馬之助)
      • 嫡子:乾正勝(弥太郎)
      • 養子(実甥):乾正厚(市郎平)
      • 正厚の妻:明神善秀(源八)の姉

補注

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  1. ^ 「左八」という名は「佐」の字画から人偏を略し、「内」の字画から外枠を略して「左八」と洒落て書いたものが起源である。
  2. ^ 乾正壽(宅平)が高齢でありながら中々隠居しなかった為、通常の「惣領御目見え」では無く「嫡孫御目見え」となっている。
  3. ^ 高知県高知市薊野東町

参考文献

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関連項目

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