二階堂貞衡
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時代 | 鎌倉時代後期 |
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生誕 | 正応4年(1291年)[1][2] |
死没 | 元弘2年/元徳4年1月7日(1332年2月3日) |
改名 | 貞衡→行恵(法名) |
官位 | 左衛門尉[1][3]、美作守[1][3]、検非違使[3]、従五位下[3] |
幕府 | 鎌倉幕府 政所執事[1][2] |
氏族 | 藤原南家乙麻呂流 二階堂氏 |
父母 | 父:二階堂行貞[1][2][3] |
兄弟 | 貞衡、行広 |
妻 | 安達時顕娘 |
子 | 高衡(行直)[注釈 1][3]、高行[3]、行元[注釈 2][3] |
二階堂 貞衡(にかいどう さだひら[1][2])は、鎌倉時代後期の御家人。鎌倉幕府政所執事。
略歴
[編集]北条氏得宗家当主・鎌倉幕府9代執権・北条貞時より偏諱を受けて貞衡と名乗ったものとされる[注釈 3]。
正中3年/嘉暦元年(1326年)3月に出家し、行恵と号した[1][2][3][6]。嘉暦4年/元徳元年(1329年)5月19日には鎌倉幕府の政所執事となる[1][2][6]が、元徳4年/元弘2年(1332年)1月7日に42歳で死去[1][2][6][7][3]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i 関口みさを 著「二階堂貞衡」、安田元久 編『鎌倉・室町人名事典』(コンパクト)新人物往来社、1990年、451頁。
- ^ a b c d e f g 「二階堂貞衡」『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』 。
- ^ a b c d e f g h i j 『尊卑分脉』。
- ^ 紺戸淳「武家社会における加冠と一字付与の政治性について」『中央史学』二、1979年、15頁。
- ^ 角田朋彦「偏諱の話」『段かづら』三・四合併号、再興中世前期勉強会、2004年、20-21頁。
- ^ a b c 『鎌倉年代記』・『武家年代記』元徳元年条。
- ^ 『尊卑分脉』では元徳3年(1331年)1月7日に頓死したとする。
参考文献
[編集]- 細川重男『鎌倉政権得宗専制論』吉川弘文館、2000年。ISBN 4-642-02786-6。
- 細川重男 著「政所執事二階堂氏の家系」、鎌倉遺文研究会 編『鎌倉時代の社会と文化』東京堂出版〈鎌倉遺文研究2〉、1999年。ISBN 978-4-490-20375-2。
- 黒板勝美; 国史大系編修会 編『尊卑分脈 第4篇』吉川弘文館〈新訂増補国史大系〉。