井上久吉
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井上 久吉(いのうえ ひさきち、1876年(明治9年)3月1日[1] - 1953年(昭和28年)3月16日[1])は、大正から昭和時代前期の政治家、実業家。愛媛県松山市長。
経歴・人物
[編集]愛媛県松山市湊町2丁目に生まれる[1]。1887年(明治20年)家督を相続する[1]。松山中学校(現・愛媛県立松山東高等学校)を経て、東京高等商業学校(現・一橋大学)を卒業[1]。 松山紡績会社監査役、井上合名会社代表者を務める傍ら、松山市会議員となり、1922年(大正11年)から1926年(大正15年)まで市会議長を務めた[1]。
1933年(昭和8年)11月17日に松山市長に推挙され就任[1][2]。さらに1937年(昭和12年)再選したが、任期途中の1938年(昭和13年)7月に病気を理由に退任した[1]。市庁舎の改築、上水道建設、松山城の復興、城山登山道路の開削、道路網の整備、社会教育・社会事業の振興、市政浄化などに尽力した[1]。