井上増吉
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井上増吉 いのうえ ますきち | |
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生年月日 | 1914年8月21日 |
出生地 | 日本 兵庫県小野市 |
没年月日 | 2010年10月24日(96歳没) |
出身校 | 日本大学商経学部経済科卒業 |
前職 | 明石市収入役 |
所属政党 | 無所属 |
称号 | 勲四等瑞宝章 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1976年10月31日 - 1988年 |
井上 増吉(いのうえ ますきち、1914年〈大正3年〉8月21日[1][2] - 2010年〈平成22年〉10月24日[3])は、昭和から平成時代の政治家。兵庫県小野市長。
経歴
[編集]兵庫県小野市出身。旧制小野中学校(現在の兵庫県立小野高等学校)を卒業[1]。1939年(昭和14年)日本大学商経学部経済科卒業[2]。同年日本放送協会に入った[2]。その後、1946年(昭和21年)、山陽利器に入社した[2]。さらに、1951年(昭和26年)、小野町立病院に入った[2]。そして、1952年(昭和27年)明石市役所に奉職し収入役を務めた[2][3]。
1976年小野市長選挙
[編集]1976年(昭和51年)の小野市長選挙に立候補して、保守・革新双方の推薦を得て、共産党が支持する新人を破って初当選を果たした[4]。
※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
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井上増吉 | 62 | 無所属 | 新 | 11,501票 | 54.8% | - |
田上開治 | 72 | 無所属 | 新 | 9,471票 | 45.2% | 共産支持 |
10月31日に市長に就任した[2]。
1980年小野市長選挙
[編集]1980年(昭和55年)の選挙では背任罪で上告中の前職の林幸雄を破って再選を果たした[5][6]。
※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
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井上増吉 | 66 | 無所属 | 現 | 13,215票 | 63.1% | - |
林幸雄 | 54 | 無所属 | 元 | 7,741票 | 36.9% | - |
1984年(昭和59年)の選挙では、告示日当日の夕方に立候補を決めた元職を破って3選を果たした[7]。1988年(昭和63年)引退した[1]。
陸上界でも活躍し、兵庫陸上競技協会長を務めた[注釈 1]。
栄典
[編集]- 勲章等
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d 日外アソシエーツ 1999, 54頁.
- ^ a b c d e f g 『日本の歴代市長 : 市制施行百年の歩み 第2巻 519コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、300頁。
- ^ 『国民自治年鑑 1978年版 40コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『国民政治年鑑 1981年版 219コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『国民自治年鑑 1981年版 65コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『国民政治年鑑 1985年版 234コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『五十周年記念誌 25コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
参考文献
[編集]- 日外アソシエーツ 編『現代政治家人名事典』日外アソシエーツ、1999年。ISBN 481691529X。