京城府民館事件
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京城府民館事件(けいじょうふみんかんじけん)は、1945年(昭和20年)7月24日に日本統治時代の朝鮮の京畿道京城府で発生した爆弾テロ事件。日本統治下の朝鮮における最後の独立運動絡みの事件である。
事件の発端
[編集]朝鮮人唯一の衆議院議員だった朴春琴は、1945年(昭和20年)6月24日に李光洙らとともに「大義党」を結成した。そして1か月後の7月24日に京城府民館において、欧米列強の植民地支配を糾弾する「亜細亜民族憤激大会」を開催することになった。
事件の概要
[編集]1945年7月24日、京城府民館で「亜細亜民族憤激大会」が開催された。満洲国や中華民国(南京国民政府)からの代表も一堂に会し、「アジア解放」の熱弁を振るった。
午後6時頃、演壇にむかって爆弾が投げ込まれて炸裂した。1人が死亡、数十人が負傷した。会場は大混乱に陥り、そのまま流会となった。実行犯の趙文紀らは現行犯逮捕された。しかし、20日後の8月15日に終戦(光復)となり、実行犯は処罰されることなくそのまま釈放された。
実行犯の趙文紀は、その後、いわゆる「親日派」を追及する民族問題研究所の理事長を務め、2008年2月5日に死去した。
参考文献
[編集]- 名越二荒之助編著『日韓2000年の真実 写真400枚が語る両国民へのメッセージ』国際企画、1997年
- 鄭雲鉉『ソウルに刻まれた日本 69年の事跡を歩く』桐書房、1999年