京極村
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きょうごくむら 京極村 | |
---|---|
廃止日 | 1931年4月1日 |
廃止理由 |
編入合併 京極村、川岡村、西院村、梅津村、桂村、松尾村、嵯峨町、太秦村、花園村、梅ケ畑村 → 京都市(右京区を新設) |
現在の自治体 | 京都市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 近畿地方 |
都道府県 | 京都府 |
郡 | 葛野郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
1,998人 (国勢調査、1920年) |
隣接自治体 | 京都市(下京区)、葛野郡西院村、梅津村 |
京極村役場 | |
所在地 | 京都府葛野郡京極村字川勝寺小字南方2(京都市右京区西京極南方町2) |
座標 | 北緯34度59分44秒 東経135度42分54秒 / 北緯34.99547度 東経135.715度座標: 北緯34度59分44秒 東経135度42分54秒 / 北緯34.99547度 東経135.715度 |
ウィキプロジェクト |
京極村(きょうごくむら)は、京都府葛野郡に属していた村。村域は現在の京都市右京区のうち町名に西京極地域を冠する地域とおおむね一致するが、1957年(昭和32年)以降の土地区画整理事業において一部境界が変更されており完全には一致しない[1]。
地理
[編集]歴史
[編集]京極村発足以前の歴史については「川勝寺村」を参照
- 1889年(明治22年)
- 1906年(明治38年)
- 1908年(明治40年) - 洪水により村内の桂川堤防(字郡の2ヶ所)が決壊し被害が発生した[4]。
- 1911年(明治43年) - 京極村信用購買組合(字川勝寺小字南方2番地)設立[5]。
- 1922年(大正11年)8月2日 - 京都都市計画区域が告示され、村域全体が都市計画区域となる[6]。
- 1924年(大正13年)3月 - 村役場に併設されていた京極尋常高等小学校が現校地に移転する。
- 1925年(大正14年)10月 - 花園村、西院村とともに京都市への編入希望を表明する。
- 1926年(大正15年) - 村内で倉敷染工が創業する。
- 1928年(昭和3年)
- 1930年(昭和5年)12月 - 御成婚記念運動場起工[7]。
- 1931年(昭和6年)4月1日 - 川岡村・西院村・梅津村・桂村・松尾村・嵯峨町・太秦村・花園村・梅ケ畑村とともに京都市に編入。旧葛野郡の区域をもって右京区を新設し、同日京極村が廃止される。
京都市編入後の歴史については「西京極」を参照
行政
[編集]歴代村長
[編集]代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
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初 | 廣田七郎兵衛 | 1889年(明治22年)4月1日 | (不明) | 1890年(明治23年)1月時点[8] |
~ | ||||
? | 湯川半左衛門 | (不明) | (不明) | 1905年(明治38年)時点[3] |
~ | ||||
? | 北尾牛兵衛 | (不明) | (不明) | 1916年(大正5年)時点 |
~ | ||||
? | 北尾半兵衛 | 1925年(大正14年)[9] | (不明) | |
~ | ||||
? | (不明) | (不明) | 1931年(昭和6年)3月31日 |
村役場
[編集]- 京極村役場 - 字川勝寺小字南方(現・西京極南方町2)
京都市に編入後、同所には右京区西京極吏員派出所が設置された。
交通
[編集]鉄道路線
[編集]道路
[編集]五条通や花屋町通、天神川通(周山街道)の村内区間は当時未開通であり、五条通の西大橋を含む桂バイパス区間は京都市編入後の1964年(昭和39年)併用開始である。
経済
[編集]工業
[編集]教育
[編集]- 京極尋常高等小学校(現・京都市立西京極小学校) - 字川勝寺小字芝ノ下町31(現・西京極芝ノ下町)
京極村発足にあたり川勝寺小学校は京極村学校に改称、さらに1931年(昭和6年)京極尋常高等小学校に改称した。当初の校舎は村役場と併設されており、1924年(大正13年)に現在地に移転した[10]。
観光
[編集]名所・旧跡
[編集]- 三宮神社(川勝寺三宮神社)
- 御成婚奉祝記念京都市運動場(現・京都市西京極総合運動公園)
- 御室川治水碑 - 山陰街道沿い、字川勝寺小字西川(現・西京極西川町)
- 京極村道路元標 - 山陰街道沿い、字川勝寺小字東9番地先(現・西京極東町)[11]
特産
[編集]- 桂瓜[12]
地域
[編集]小字一覧
[編集]- 字川勝寺(せんじょうじ)
- 堤・六條・池田・畸勝・町ノ坪・豆田・溝端・庄境・掛落・三反田・中溝・大門・宮ノ東・東・佃田・下澤・中澤・畑田・前田・中・北裏・南方・西川・芝ノ下・向河原・堤外・殿田・東側・籔開・火灯畑・走上リ・長町・四ツ池・樋ノ詰・白河原・籔ノ下・末廣・堤下・ 東中島・河原町・下河原・河原町裏・古濱
- 字郡(こおり)
- 三反田・野田・南大入・新上坊・鍋澤・醍醐田・七反田・午塚・樋渡・猪馬場・六條・北堂ノ後・南堂ノ後・大波・芝土居・隅明・新田・辻堂・溝・濱ノ本・附洲・宮ノ後・北裏・五反田・平尻・北大入・四條繩手・淺代・大宮田・佃・二反田
- 字徳大寺(とくだいじ)
- 團子田・西團子田
脚注
[編集]- ^ 「京都市の区画整理」京都市情報館
- ^ a b 国立国会図書館. “現在の桂大橋は3代目だと思うが、1~3代目の架橋された年代を知りたい。また、桂川にかかるそれぞれの橋...”. レファレンス協同データベース. 2023年5月27日閲覧。
- ^ a b 「UK135 御室川治水碑」フィールドミュージアム京都
- ^ 論文「京都市淀、水垂・大下津地域における治水・水害史と淀川改良工事」京都歴史災害研究 第14号(2013)29~39
- ^ 大蔵省印刷局 [編]『官報』1910年01月19日,日本マイクロ写真,明治43年. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2951320 (参照 2023-01-15)
- ^ 「冊子「京都市の都市計画」(資料編1)」京都市情報館
- ^ 京都市保健部衛生課 編『京都市保健施設概要』昭和16年10月,京都市保健部衛生課,昭和17. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1139352 (参照 2023-05-28)
- ^ 中西嘉助 編『京都府官員録』明治23年1月調,中西嘉助,明22-23. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/779546
- ^ 3月26日京都府人物誌刊行会 編『京都府人物誌』,舞鶴堂,昭和3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1029493
- ^ 「西京極小学校 学校要覧」京都市立西京極小学校
- ^ 1920年(大正9年)3月30日「京都府公報第783号」
- ^ 農林省農務局 編『農事改良資料』第28 園藝要覽,農林省農務局,昭和4-10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1077450
参考文献
[編集]- 『京都府葛野郡史概要』京都府葛野郡役所、1922年 。
- 『京都府葛野郡現勢一班 大正5年』葛野郡、1916-1917年 。
- 『京都市域の町村合併 (市政史史料 ; 28号)』京都市史編さん所、1983年 。
- 『角川日本地名大辞典 26 京都府』角川書店。