コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

京極高鋭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
京極鋭五から転送)
京極高鋭

京極 高鋭(きょうごく たかとし、明治33年(1900年12月15日 - 昭和49年(1974年12月7日[1])は、昭和時代の華族、音楽評論家。男爵加藤照麿(旧出石藩士)の五男。兄に加藤成之浜尾四郎。弟に古川緑波増田七郎がいる。京極子爵家(旧峰山藩主家)当主京極高頼婿養子となる。

経歴

[編集]

東京出身。初名は加藤鋭五[1]。幼少の頃は迪宮(昭和天皇)のお相手を務めた[2]学習院に入学し、部活動では吹奏楽、また声楽の勉強に熱中した。東京帝国大学経済学部を卒業する。大正15年(1926年)に東京日日新聞の記者となり、昭和7年(1932年)に読売新聞へ移籍する。また、昭和6年(1931年)頃より音楽ジャーナリストして音楽雑誌に執筆を行う。昭和9年(1934年)、京極子爵家の典子の夫として婿養子になる。昭和12年(1937年)、読売新聞を退職して内閣情報部嘱託になり、「愛国行進曲」の選定に携わった。昭和14年(1939年)7月10日に貴族院議員となる[3](1947年5月2日まで、研究会所属[1])。昭和15年(1940年)5月4日に高鋭と改名した[4]。貴族院議員時代には情報局委員、日本音楽文化協会顧問ならびに国際音楽専門委員を務めた。戦後は外務省調査委員、NHK理事、相模女子大学教授などを歴任した。ほかにも日本オリンピック委員会委員も務めた。昭和49年(1974年)に73歳で没した。実子はなく、豊岡京極家から高幸京極高光の五男)を養子としている。墓所は京丹後市常立寺

脚注

[編集]
  1. ^ a b c 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』42頁。
  2. ^ 『昭和天皇とその時代』小堀桂一郎、PHP研究所、2015年、p21
  3. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、42頁。
  4. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、50頁。

参考文献

[編集]
  • 日本人名大辞典(講談社
  • 京極高鋭の著作目録と解説(日本大学文理学部人文科学研究所 第77号(2009年)研究紀要・古川隆久著)
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。


日本の爵位
先代
京極高頼
子爵
峰山京極家第4代
1936年 - 1947年
次代
華族制度廃止