京極高慶 (多度津藩主)
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保5年(1720年) |
死没 | 宝暦6年2月26日(1756年3月26日) |
改名 | 内膳(幼名)、高慶 |
別名 | 千吉 |
戒名 | 泰岳院殿前羽州大守安禅道寧大居士 |
墓所 | 香川県丸亀市中府の玄要寺 |
官位 | 従五位下、出羽守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 讃岐多度津藩主 |
氏族 | 京極氏 |
父母 | 父:京極高通、母:山崎義方の娘 |
兄弟 | 高慶、高伴 |
妻 | 正室:黒田直純の娘 |
子 | 高明(3男)、軽三郎、高文、黒田治高、富姫(伊達村賢正室のち藤堂良峯正室) |
京極 高慶(きょうごく たかよし)は、讃岐多度津藩の第2代藩主。多度津藩京極家2代。
略歴
[編集]享保5年(1720年)、初代藩主・京極高通の長男として生まれる。享保20年(1735年)9月24日、父の隠居で家督を継ぐ。寛保2年(1742年)に駿府加番に任じられる。飢饉が続いた上、役人の不正もあって寛保3年(1743年)1月には百姓一揆が起こった。宝暦6年(1756年)2月26日、丸亀で死去した。享年37。跡を六男・高文が継いだ。