京極高琢
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 文化8年8月7日(1811年9月24日) |
死没 | 慶応3年3月22日(1867年4月26日) |
改名 | 辰之丞(幼名)、高琢 |
戒名 | 雲関院殿前壱州刺史透翁道信大居士 |
墓所 | 香川県丸亀市中府の玄要寺 |
官位 | 従五位下・壱岐守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉、家慶、家定、家茂 |
藩 | 讃岐多度津藩主 |
氏族 | 京極氏 |
父母 | 父:京極高賢、母:菅氏 |
兄弟 | 高琢、高宝、滝子、松平康豊室 |
妻 | 正室:豊子(京極高朗の娘) |
子 | 養子:高典 |
京極 高琢(きょうごく たかてる)は、江戸時代後期の大名。讃岐国多度津藩の第5代藩主。多度津藩京極家5代。
略歴
[編集]第4代藩主・京極高賢の長男として誕生。
天保4年(1833年)3月8日、父の隠居により跡を継ぐ。藩政では防波堤を築き、瀬戸内海に良港を築くなど、手腕を見せた。安政6年(1859年)3月11日、家督を養嗣子の高典に譲って隠居し、慶応3年(1867年)3月22日に57歳で死去した。