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京極高直

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
京極高直
時代 江戸時代前期
生誕 寛永9年11月21日1633年1月1日
死没 寛文3年1月7日1663年2月14日
改名 六丸(幼名)、高沖(初名)、高直
戒名 法性院殿真郭道保大禅定門
官位 従五位下飛騨守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家光家綱
丹後田辺藩
氏族 京極氏
父母 京極高三水野忠清の娘
兄弟 高直田中高友、松光院
正室水野忠善の娘
高盛高元高門高住高里高完森長武正室ら
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京極 高直(きょうごく たかなお)は、丹後国田辺藩の第2代藩主豊岡藩京極家2代。

略歴

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初代藩主・京極高三の長男。寛永13年(1636年)、父の死去により跡を継ぐ。正保4年(1647年)、江戸増上寺の普請や江戸城修築などを務めた。承応3年(1654年)、隣藩である宮津藩主の京極高広と国境などをめぐって争う。高広と高直は伯父と甥でありながら仲が悪かった。藩政においては郷村支配の強化に努めている。

寛文3年(1663年)正月7日、田辺にて32歳で死去した。このとき、家臣が5名ほど殉死している。それだけ高直は家臣を大切にしていたのかもしれないが、殉死の習慣が問題視されて幕府から殉死禁止令が出されたのは、高直の死から4ヵ月後のことであった。跡を長男の高盛が継いだ。

系譜

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脚注

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  1. ^ 旗本稲垣昭友の三男の高為が養子となって相続したが、高為の室は京極高知の子田中 (京極)滿吉から始まる京極氏一門の旗本京極(田中)高久の娘であった。