牧野節成
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 文化7年3月27日(1810年4月30日) |
死没 | 文久元年8月29日(1861年10月3日) |
改名 | 欽次郎(幼名)、節成、清山(法号) |
戒名 | 寛樹院殿顕誉泰道源真清山大居士 |
墓所 | 埼玉県鴻巣市本町の勝願寺 |
官位 | 従五位下・内匠頭、山城守、河内守 |
幕府 | 江戸幕府大坂加番代、奏者番 |
主君 | 徳川家斉→家慶 |
藩 | 丹後田辺藩主 |
氏族 | 牧野氏 |
父母 |
父:牧野允成、母:田中氏 養父:牧野以成 |
妻 | 青山忠裕の養女・サダ |
子 | 誠成、寿松院、春林院、辰子、森川俊方正室ら |
牧野 節成(まきの ときしげ)は、江戸時代後期の大名。丹後国田辺藩の第8代藩主。丹後田辺藩牧野家9代。
略歴
[編集]文化7年(1810年)3月27日、牧野允成(第6代藩主・牧野宣成の次男)の長男として誕生した。文政7年(1824年)8月に伯父で第7代藩主である牧野以成の養子となり、文政8年(1825年)11月16日に以成が隠居したため家督を継いだ。
文政11年(1828年)2月と天保3年(1832年)2月に大坂加番代を務め、のちには奏者番にも任じられた。藩政では文学の奨励に努めている。
嘉永5年(1852年)6月5日、病を理由に家督を長男の誠成に家督を譲って隠居した。文久元年(1861年)8月29日に江戸で死去した。享年52。