牧野英成
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時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
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生誕 | 寛文11年9月11日(1671年10月13日) |
死没 | 寛保元年9月19日(1741年10月28日) |
官位 | 従四位下・河内守 |
幕府 | 江戸幕府奏者番、寺社奉行、京都所司代 |
主君 | 徳川綱吉→家宣→家継→吉宗 |
藩 | 丹後田辺藩主 |
氏族 | 村越氏→牧野氏 |
父母 |
父:村越直成、母:三好氏 養父:牧野富成 |
妻 |
正室:南部行信の娘 側室:信敬院 |
子 | 酒井忠告正室、良成、明成、知成、藤波徳忠養女、中坊秀成、南部信弥、細川興虎正室、長成、有馬純珍養女、小浜秀隆養女、高力直賢、孝成、徳成、資成 |
牧野 英成 (まきの ひでしげ)は、江戸時代前期から中期にかけての大名・京都所司代。丹後国田辺藩の第3代藩主。丹後田辺藩牧野家4代。官位は従四位下・河内守。
略歴
[編集]旗本・村越直成(牧野信成の十男)の長男として誕生した。伯父である牧野富成に男子がなかったため、父の実家である丹後田辺藩牧野家の養子となる。元禄6年(1693年)、富成の死により家督を相続する。寺社奉行や京都所司代を歴任し、幕政にも参与した。元文2年(1737年)隠居し、家督を次男の明成に譲る。寛保元年(1741年)死去した。
年表
[編集]- 1671年(寛文11年) - 生まれる
- 1692年(元禄5年) - 奥詰
- 1693年(元禄6年) - 牧野家相続、奥詰辞任、雁間詰
- 1714年(正徳4年) - 奏者番
- 1718年(享保3年) - 寺社奉行(8月4日)
- 1724年(享保9年) - 京都所司代(12月15日)
- 1734年(享保19年) - 京都所司代辞任
- 1737年(元文2年) - 隠居
- 1741年(寛保元年) - 死去、享年71
官位位階
[編集]- 1685年(貞享2年) - 従五位下・佐渡守
- 1697年(元禄10年) - 讃岐守
- 1714年(正徳4年) - 因幡守
- 1724年(享保9年) - 佐渡守、従四位下・侍従
- 1728年(享保13年) - 河内守