牧野明成
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 宝永元年4月6日(1704年5月9日) |
死没 | 寛延3年10月5日(1750年11月3日) |
改名 | 直次郎(幼名)、治成(初名)、明成 |
墓所 | 埼玉県鴻巣市本町の勝願寺 |
官位 | 従五位下・豊前守、因幡守 |
幕府 | 江戸幕府奏者番、大坂加番 |
主君 | 徳川吉宗→家重 |
藩 | 丹後田辺藩主 |
氏族 | 牧野氏 |
父母 | 父:牧野英成、母:信敬院 |
兄弟 | 酒井忠告正室、良成、明成、知成、藤波徳忠養女、中坊秀成、南部信弥、細川興虎正室、長成、有馬純珍養女、小浜秀隆養女、高力直賢、孝成、徳成、資成 |
妻 | 松平乗邑の娘・ヒサ |
子 | 八重之丞、惟成、韶成、牧野美成室、峯、村越房成、松平近形正室ら |
牧野 明成(まきの あきしげ)は、江戸時代中期の大名。丹後国田辺藩の第4代藩主。丹後田辺藩牧野家5代。官位は従五位下・豊前守、因幡守。
略歴
[編集]宝永元年(1704年)4月6日(江戸幕府の記録では宝永2年(1705年)閏4月)、第3代藩主・牧野英成の次男として田辺で誕生した。兄・良成が早世したために世子となり、元文2年(1737年)10月2日の父の隠居により家督を継いだ。
延享元年(1744年)7月に奏者番に任じられる。寛延2年(1749年)2月に大坂加番に任じられた。寛延3年(1750年)10月5日(記録では10月7日)、江戸で死去した。享年47。跡を三男の惟成が継いだ。