牧野弼成
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牧野弼成 | |
時代 | 江戸時代後期 - 大正時代 |
生誕 | 嘉永7年8月23日(1854年10月14日) |
死没 | 大正13年(1924年)6月23日 |
改名 | 綾太郎(幼名)、弼成 |
官位 | 従五位下・内匠頭、子爵 |
主君 | 明治天皇→大正天皇 |
藩 | 丹後田辺藩主、舞鶴藩知事 |
氏族 | 牧野氏 |
父母 | 父:牧野誠成、母:九鬼隆徳の娘・シゲ |
兄弟 | 弼成、波子、松平信好正室 |
妻 | 正親町公董の娘・弥栄 |
子 | 一成、カウ |
牧野 弼成(まきの すけしげ)は、丹後国田辺藩の第10代(最後)の藩主。丹後田辺藩牧野家11代。
経歴
[編集]嘉永7年(1854年)8月23日、第9代藩主・牧野誠成の長男として生まれる。明治2年(1869年)に父が死去したため跡を継ぎ、6月に版籍奉還により知藩事となった。このとき、紀伊田辺藩との混同を避けるために、田辺を舞鶴(のちの舞鶴市)と改名している。明治4年(1871年)7月の廃藩置県で舞鶴藩知事を免官された。後に子爵となる。
1916年(大正5年)2月7日に隠居した[1]。大正13年(1924年)6月23日に死去。享年71。
系譜
[編集]- 父:牧野誠成(1832年 - 1869年)
- 母:シゲ - 桂芳院、九鬼隆徳の娘
- 夫人:弥栄 - 正親町公董の娘
- 長男:牧野一成(1880年 - 1958年)
- 女子:牧野カウ - 池の家に嫁ぐ。娘の池の志満は亀井家に嫁ぐ。その長男は亀井貞一、その長男は亀井清、その長男は亀井政孝。
脚注
[編集]- ^ 『官報』第1058号、大正5年2月14日。
日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 |
子爵 (舞鶴)牧野家初代 1884年 - 1916年 |
次代 牧野一成 |