牧野惟成
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保13年11月28日(1728年12月28日) |
死没 | 天明3年6月12日(1783年7月11日) |
改名 | 直三郎(幼名)、惟成 |
戒名 | 嶺松院殿信誉操貞忠山大居士 |
墓所 | 埼玉県鴻巣市本町の勝願寺 |
官位 | 従五位下・豊前守 |
幕府 | 江戸幕府奏者番、寺社奉行 |
主君 | 徳川家重→家治 |
藩 | 丹後田辺藩主 |
氏族 | 牧野氏 |
父母 | 父:牧野明成、母:松平乗邑の娘・ヒサ |
兄弟 | 八重之丞、惟成、韶成、牧野美成室、峯、村越房成、松平近形正室ら |
妻 |
正室:南部利視の娘・アイ 側室:カン |
子 | 則成、武成、福成、満成、宣成、尚成、尹成、牧野美成養女、つね、有馬則明正室、川口恒久室 |
牧野 惟成(まきの これしげ)は、丹後国田辺藩の第5代藩主。丹後田辺藩牧野家6代。
経歴
[編集]享保13年(1728年)11月28日、第4代藩主・牧野明成の三男として江戸で生まれる。長兄の八重之丞や次兄が早世したために世子となり、寛延3年(1750年)に父が死去したため家督を継いだ。宝暦6年(1756年)3月には領内で百姓一揆が起こっている。明和4年(1767年)に牧野家が田辺藩に入って100年を祝った記念祭を行なっている。明和5年(1768年)7月に奏者番に任じられた。安永6年(1777年)9月に寺社奉行に任じられた。
天明3年(1783年)6月12日(江戸幕府の記録では7月23日)に死去。享年56。跡を五男の宣成が継いだ。