黒田直純
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黒田直純像(後世、想像で描かれたもの) | |
時代 | 江戸時代中期 |
生誕 | 宝永2年4月23日(1705年5月15日) |
死没 | 安永4年閏12月27日(1776年2月16日) |
改名 | 三五郎(幼名)、直純 |
戒名 | 勝融直純春晃院 |
墓所 | 埼玉県飯能市の能仁寺 |
官位 | 従五位下、従四位下、大和守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川吉宗→家重→家治 |
藩 | 上総久留里藩主 |
氏族 | 本多氏→黒田氏 |
父母 | 父:本多正矩、養父:黒田直邦 |
兄弟 |
本多正珍、直純、生駒親睦ら 養兄弟:繁丸、松平忠暁正室、九鬼隆寛正室、内藤政醇正室、直基 |
妻 | 正室:黒田直邦の5女・三千子 |
子 |
直弘、亀次郎、長吉、京極高慶正室、津軽著高正室、上田義陳正室、三枝守富正室、杉浦正勝正室、芳姫、森光嶢正室 養子:直亨、本多忠栄正室 |
黒田 直純(くろだ なおずみ)は、上野沼田藩の第2代藩主、のちに上総久留里藩の初代藩主。久留里藩黒田家2代。
生涯
[編集]宝永2年(1705年)4月23日、本多正矩の次男として江戸で生まれる。
沼田藩の先代藩主黒田直邦の婿養子だった直基が早世したため、その未亡人(直邦の娘)と結婚して享保6年(1721年)12月に新たな養嗣子となる。
寛保2年(1742年)7月28日、沼田から久留里へ移封された。久留里城再建のため、5千両を給わる。
宝暦13年(1763年)12月18日、従四位下に昇進する。同日、奏者番の職を解かれる。
跡を先代の直邦の実子で養子の直亨が継いだ。
系譜
[編集]父母
正室
- 三千子、華厳院 ー 黒田直邦の五女
子女
養子、養女
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